建碑の流行・政治家とは? わかりやすく解説

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建碑の流行・政治家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/18 13:37 UTC 版)

日本の書道史」の記事における「建碑の流行・政治家」の解説

江戸時代後期から大正時代にかけて建碑流行し東京下町には江戸文人たちの碑がたくさ残っている。特に明治26年1890年明治23年))ごろから未曽有の建碑ブームとなり、日下部鳴鶴全国行脚して碑文書き、その数、千数百基に及ぶといわれる巖谷一六は鳴についで多く碑文揮毫している。その他、西川春洞柳田正斎長三洲野村素軒金井金洞宮島詠士など多数書家携わっている。また、明治天皇勅命により神道碑が明治から大正時代にかけて8基建てられた。 明治初期政治家中には書に通じた人物多く鳥尾小弥太山岡鉄舟らは代表的である。また、元勲中には能書多く勝海舟広沢真臣伊藤春畝博文)、木戸松菊(孝允)、大久保甲東利通)、三条梨堂(実美)、西郷南洲隆盛)などがあげられ大正入ってからも犬養木堂(毅)などによって書の振興が行われ、神道碑が建てられている政治家も多い。 神道神道碑(しんどうひ)とは、墓所の墓道に建てる頌徳碑であり、『大久保神道碑』などがある。 大久保神道日下部鳴鶴73歳のとき、加賀山中温泉150日を費やして書した。1字の大きさは5センチ角で、総字数2,919字は我が国最大楷書碑であり、鳴最高傑作といわれる青山霊園にあるが、ここには1万5,000墓碑が立ち、書的に貴重なものも多い。 神道碑一覧名称受者墓所筆者建碑年月毛利神道毛利敬親 上宇野令香園 野村素軒 1896年明治29年1月 木戸神道木戸孝允 京都霊山護国神社 野村素軒 1906年明治39年5月 大久保神道大久保利通 青山霊園 日下部鳴鶴 1910年明治43年9月 三条神道三条実美 護国寺 杉溪六橋 1925年大正14年4月 大原神道大原重徳 谷中霊園 北村信広沢神道広沢真臣 松陰神社 杉山吉 島津公神道島津久光 福昌寺 松川敏胤 1926年大正15年11月 岩倉神道岩倉具視 海晏寺 杉溪六橋 1926年大正15年12月

※この「建碑の流行・政治家」の解説は、「日本の書道史」の解説の一部です。
「建碑の流行・政治家」を含む「日本の書道史」の記事については、「日本の書道史」の概要を参照ください。

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