市民の住居
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/28 21:31 UTC 版)
第二次世界大戦の開戦により、それまで保存されていた数多くの中世後期から近世の民家はごくわずかが遺されているだけである。 現在最も古い民家は、オーベルン通りのミュラー邸である。年輪年代学調査によれば、1485年に建設されたとされている。1592年に大規模な改築がなされ、これにより豊かな装飾が施された木組みの破風が設けられた。1991年から1993年までこの建物は徹底的な改修がなされ、近代的な増築がなされた。歴史学的な調査もなされ、内部の元々の土間や部屋の配置、地下ホールが、現在も追体験できる形で保存されている。この建物の裏側にあたるヴェレ55番地の建物は、表の建物と木製の橋で接続した 17世紀の建築である。 オーベルン通り32番地の家もやはり中世後期の建物である。この半寄棟屋根の簡素な3階建ての家の外観は19世紀に行われた改築の結果である。最も古い部分は16世紀初めに造られたものである。 最も有名な民家の一つが1530年に建設されたクリューヴェル・ハウス(オーベルン通り1番地)である。後期ゴシック様式の階段破風はミュンスターの建築をモデルにして造られた。同様の、しかしこれよりもやや時代が下る作例は、ヘルフォルト(市長邸、1538年)やレムゴー(ヴィッパーマン邸、1576年)に見られる。正面は1901年に改築され、1階には店舗スペースがある。この建物は第二次世界大戦で焼失し、1948年/1949年にパウル・グリーサーによって歴史的なファサードを保持して再建された。この再建によって大きなショーウィンドウは小さな桟のある窓に置き換えられた。この階段ハウス内には、約7000枚の16世紀から18世紀の歴史的なデルフト焼きのタイルがある。これはこの種のものとしては北西ドイツ最大のコレクションである。 バッティヒ・ハウス(アルター・マルクト3番地)は甚大な戦争被害を受け、1680年の記録がある渦巻き装飾の破風だけが遺された。この建物はパウル・グリーサーによってランペ銀行の建築群に取り付けられた。正面は、いわゆるヴェーザールネサンス様式の影響を強く受けているが、階段状のパネルはすでにバロック様式に裏打ちされている。1945年以後、ファサードの保存的再現が行われており、これによってショーウィンドウが小さな開口部に置き換えられた。 オーベルン通り38番地に古典主義様式のファサードを有する木組み建築がある。この建物は19世紀前半に化粧張りが施された。1階は、後に店舗スペースに改築された。 オーベルン通り32番地の家 バッティヒ・ハウス(右の建物) オーベルン通り38番地
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