小佐世保免
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/22 05:57 UTC 版)
光月川・小佐世保川の谷筋に広がる。ここも最上部を除き、市街化された中流域までが最初の町域設定地域となった。 勝富町(かつとみちょう) 年配の市民からは「かっとみ」と発音されることがある。花園遊郭を廃止し、代替地として提供された歓楽街を基礎とするため、道路は幾何学的に整備され、古い旅館が散見される。 上京町(かみきょうまち) 四ヶ町の一つ。国道をまたぎ、佐賀銀行やセントラルホテルが位置する。金融業の支店が入居するビルも見られ、京町バス停が位置することから人通りも多い。元は字京坪の一部で、町名もそれに由来する。 祇園町(ぎおんちょう) 名切谷に接する丘陵上にあり、公共交通の空白地帯にある。旭中学校・祇園小学校・検察支部といった公共施設が多い。民家も中腹に見られるが、人口的には海上自衛隊官舎の住民が圧倒的に多い。 京坪町(きょうのつぼちょう) 佐世保郵便局周辺のオフィス・商店・飲食店街。最大の施設であったダイエー佐世保店が閉店し、跡地利用が進んでいる。元は字京坪の一部で、そのまま町名となる。 光月町(こうげつちょう) 祇園町と四ヶ町の間に割り込む形で広がる。面積の過半数を占める体育文化会館の南側平野にはビルが林立し、西側高台には公務員官舎と地裁支部が並ぶ。 高天町(こうてんちょう) 町域設定時には高天神社があったといわれ、それが由来となっている。勝富遊郭への通過点であったことから、市街地整備の段階で道路の復員を広く設定されている。道路沿いには骨董店や道具屋など独特の店が散見される。 塩浜町(しおはまちょう) 佐世保商港に面し、漁業・貿易に関するオフィスが多く見られる。松浦鉄道の高架化が完了するまで「神風交差点」と渾名された塩浜交差点は、交通量に反して信号機のない交差点として市民に知られていた。 下京町(しもきょうまち) 四ヶ町の一つ。最南端にあるために、人通りはさほど多くない。港側は歓楽街になっており、夜も人通りが絶えない。元は字京坪の一部で、町名もそれに由来する。 戸尾町(とのおちょう) 旧佐世保村の最南端に位置する。戦後は自然発生的に市場が発生し、現在の戸尾市場となった。閉校となった旧戸尾小学校の直下にはいくつも防空壕が掘られ、それを店舗化した商店が立ち並ぶことから「トンネル横丁」とも呼ばれる。 松川町(まつかわちょう) 小佐世保川左岸の傾斜地に広がる住宅街。かつて平戸往還の難所として知られた「峰の坂」の麓に位置している。 宮崎町(みやざきちょう) 京坪町と光月町に挟まれた市内最小の町。全長150m・全幅50mのオフィス街で、復員20mの市道が貫通しているために可住面積は非常に狭い。 山県町(やまがたちょう) 塩浜町の北に位置し、佐世保港を利用する漁業従事者や貿易商を相手にした商店・歓楽街として発展した。市民にも広く知られ、多数の飲食店が集中するほか、漁具販売店や旅館などが散在する。 万津町(よろづちょう) 佐世保商港の玄関口である旧万津埠頭を中心に形成された。鯨瀬埠頭の造成に合わせてそれを取り込んでいる。フェリーターミナルや貿易会社のオフィスが占有し、朝市会場は昼間は有料駐車場として開放する。 小佐世保町(こさせぼちょう) 市立小佐世保小学校の谷を覆うように住宅と商店が広がっている。町域は烏帽子岳に連なり、電波塔の真下まで小佐世保町に含まれる。バス通りへのアクセス道路は少なく、復員も狭い。 白木町(しらきちょう) 急傾斜上の住宅地。バス道路も白木町に登るまで小佐世保町でいったんループしているほど勾配がきつい。 須佐町(すさまち) 勝富町裏にあたる傾斜地の町。名の由来となった須佐神社は高梨町にある。町域を貫通する道路はあるが、大型車の運転は困難。須佐町バス停は山手バイパスにある。 高梨町(たかなしちょう) 尾根で名切町と接する谷底の住宅街。かつて名切霊園が開設されていた頃には市営バスの路線があった。 峰坂町(みねさかちょう) 小佐世保免南端の斜面上の住宅地。平戸往還最大の難所であった「峰の坂」が中央を縦断している。自動車での移動はほぼ不可能な狭く急な市道が連続する。
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