妙顕寺文書とは? わかりやすく解説

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妙顕寺文書(千六百五十六通)

主名称: 妙顕寺文書(千六百五十六通)
指定番号 138
枝番 00
指定年月日 1992.06.22(平成4.06.22)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 古文書
ト書
員数 60巻、74幅、1294通
時代区分 鎌倉江戸
年代
検索年代
解説文:  妙顕寺日蓮遺命をうけた日像が、元亨元年一三二一後醍醐天皇綸旨得て今小路創建した京都最初日蓮宗寺院である。二世実の時に四条櫛笥移り公武への接近通じて教線を伸張し叡山による焼打ちなどを経ながらも、明徳四年(一三九三)には三条坊門堀川妙本寺として再興された。さらに永正十六年(一五一九)日芳が寺名旧名復した十五、六世紀にかけては、洛中二十一箇本山組織中心として町衆浸透し、その繁栄期迎えるが、天文法華の乱によって敗退し、堺に遁れることとなったその後天正十二年(一五八四)秀吉の命により現在地移り京都十六本山会合組織本山一致派筆頭として近代迎えている。
 本文書は、こうした妙顕寺周辺法華宗歴史伝えたもので、伝来の上から近世前期整理経て宝蔵納められた「宝蔵文書」と、通常の寺務運営用いられた「常用文書」に大別される
 このうち宝蔵文書四百十三通は、以下の三グループ分けられる。その中心占め(一)宗門関係の文書では、日像の師にあたる日朗日輪等との往復書簡日像譲状置文歴代住持譲状書状類がまとまっていて価値高く、これらのなかには十四世紀に遡る日蓮宗規式としても注目される暦応四年(一三四一日像妙顕寺禁制などが含まれている。また(二)後醍醐以下歴代天皇綸旨以下の公家文書や、(三)足利尊氏御教書以下の室町幕府をはじめ織田豊臣徳川氏等の武家文書グループのなかでは、祈祷命令文書がその中心占めて注目される
 「常用文書」千二百四十三通は、すべて近世文書で、幕藩体制下における紫衣勅許朱印状継目入院御礼参府など、対幕府朝廷関係文書まとまっている。これらのなかには元禄五年(一六九二)の西国末寺由緒書上などの貴重な文書多く近世京都西国中心とする日蓮宗教団研究上に不可欠史料となっている。



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