奥羽再仕置とは? わかりやすく解説

奥羽再仕置

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 00:49 UTC 版)

豊臣秀吉」の記事における「奥羽再仕置」の解説

天正18年1590年)、陸奥葛西大崎和賀稗貫出羽仙北由利庄内国衆たちは豊臣政権仕置反発して一揆起こしたこのうち出羽一揆同年中に鎮圧され津軽氏出羽大小名らは上洛し、秀吉から領地安堵下知受けた。しかし陸奥葛西大崎一揆は翌天正19年1591年になって続き、更に南部信直との関係が悪化した九戸政実武装蜂起し騒乱が収まることはなかった。 「九戸政実の乱」も参照 そのため豊臣秀吉天正19年1591年6月豊臣秀次総大将とする総勢6大軍奥羽派遣し鎮圧に当たらせた。この再仕置軍は秀次を筆頭徳川家康蒲生氏郷佐竹義重上杉景勝伊達政宗宇都宮国綱らを主力とし、蠣崎氏蝦夷から参陣した蠣崎氏蒲生氏軍勢なかには毒矢射るアイヌ兵も含まれていた。奥羽到着した仕置軍は9月1日九戸攻撃開始し4日には平定完了させた。 天正18年1590年4月豊臣秀吉上杉景勝らの人身売買禁止同年8月宇都宮国綱人身売買禁止百姓などを土地縛りつけ、他領出ている者を返すことを命じ労働供給安定図っており、人身売買百姓逃散欠落禁止による人口流出防止豊臣秀吉経済財政政策における基本方針だったとする説がある。

※この「奥羽再仕置」の解説は、「豊臣秀吉」の解説の一部です。
「奥羽再仕置」を含む「豊臣秀吉」の記事については、「豊臣秀吉」の概要を参照ください。

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