葛西大崎一揆
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/03 13:57 UTC 版)
葛西大崎一揆(かさいおおさきいっき)は、天正18年(1590年)に発生した、豊臣秀吉の奥州仕置により改易された葛西氏・大崎氏らの旧臣による新領主の木村吉清・清久父子に対する反乱である。
注釈
- ^ 「余目文書」には、「奥州の仕置は政宗が太閤殿下から一任されている」と政宗が称し、そのように振舞っていた旨の記述がある。
- ^ 13郡のうち、胆沢・江刺・磐井・気仙・本吉・登米・桃生・牡鹿を葛西八郡、栗原・遠田・志田・玉造・加美を大崎五郡と称した。また、桃生・志田両郡の一部は稙宗の時代から一貫して伊達氏の勢力圏内であり、奥州仕置後も引き続き領有を認められていた。
- ^ 須田伯耆の父・親重(父も伯耆と称す)は、天正13年(1585年)に政宗の父・輝宗が殺害された際に殉死した。
- ^ 『佐久間軍記』には、政宗が氏郷を酒席に招いて暗殺を謀ったが失敗したという話が記されている[3]。
- ^ 仙台藩ではこれを秀次の命令によるものだと主張しているが、伊達成実の著作とされる『成実記』には「一揆達は騙された…騙して一揆参加者達を皆殺にした」という旨の記述がある。
参照
- 1 葛西大崎一揆とは
- 2 葛西大崎一揆の概要
- 3 背景
- 4 戦後処理・影響
葛西大崎一揆と同じ種類の言葉
固有名詞の分類
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