天地開闢
天地開闢とは、天地開闢の意味
天地開闢(てんちかいびゃく)は、天地の始まり・世界の初め、を意味する語。今日ではもっぱら「天地開闢以来の出来事」のような言い回しで用いられ、「今までなかった」旨を最大限に強調する意味で用いられる誇張表現である。天地開闢の「天地」は、全世界という意味の語。「開闢(かいびゃく)」は、これ単独で「世界の始まり」を意味する語である。なお「開」も「闢」も共に「開く」という意味の字である。
天地開闢の語の由来・語源
「天地開闢」は、古代中国の創世神話における語彙とされる。 日本神話における創世の記述を指して「天地開闢」という場合も少なくない。呉の時代に編纂された神話集「三五暦紀」に、「天地浑沌如鸡子、盘古生在其中、万八千岁、天地开辟(天地渾沌如鷄子、盤古生在其中、萬八韆歲、天地開闢)」というくだりがある。大体「はじめに渾沌(混沌)があって渾沌が二つに分かれたことで天と地が生まれ人間の世界が出現した」という事である。
鎌倉時代の日本で書かれた、日本書紀の注釈書である「釋日本紀(釈日本紀)」には、「三五暦記曰、天地渾沌如二雞子、盤古生二其中一、萬八十歳、天地開闢」という記述がある。
日本書紀には「天地開闢」の4文字こそないが「故曰、開闢之初洲壤浮漂」というくだりに「開闢」の語が見出される。
古事記は「天地初めて発けし時」という記述から始まるが、この場面を指して「天地開闢」の語を用いる場合は多い。
現代中国語では「天地開闢(天地开辟)」の他に「開天闢地(开天辟地)」ともいう。むしろ「开天辟地」の方が一般的である。
天地開闢の語の使い方(用法)、例文
今日の一般的な文脈において「天地開闢」の表現を用いる場面では、「今までにないこと」「これまでになかったこと」を最大限に強調する狙いが込められているといえる。「びっくり仰天」とか「呆れ果てた」といったニュアンスが込められることも多い。天地開闢の類語と使い分け
天地開闢の類語としては、「世界の始まり」という意味では「天地創造」が、「今までになかった」という意味では「古今未曾有」や「前代未聞」などが挙げられる。天地開闢の英語
天地開闢を英語で表現するなら creation of heaven and earth(天地の創造)や creation of the world(創世)などが挙げられる。キリスト教における「天地創造」は the Creation という。てんち‐かいびゃく【天地開×闢】
天地開闢
天地開闢
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 14:37 UTC 版)
天地開闢ののち、高天原に別天津神と神世七代の神々が誕生。これらの神々の最後に生まれてきたのがイザナギ(表記は伊邪那岐、ほか)・イザナミ(表記は伊邪那美、ほか)の二神である。
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天地開闢
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/11 02:19 UTC 版)
天孫氏に関する記述は、『中山世鑑』(1650年)に古くからみえる。『中山世鑑』では、琉球開闢の際に、天の城に住む天帝が阿摩美久(アマミク、アマミキヨ)に、神々が暮らせる「島」を創るよう命じた。この「島」というのは、地形的な意味での島ではなく、集落と御嶽ではないかと思われる。まず最初に、国頭村辺戸に安須森(アスムイ、アシムイ)を、次に今帰仁村のカナヒヤブ、斎場御嶽などを創った。しかし、数万年経過したものの、人々は未だ居らず、このままでは神の霊威を顕わすことができないので、天帝は自分の子供である男女を地上に降ろした。その後、二人は三男二女をもうけ、それぞれ長男は国王、次男は按司、三男は百姓、長女は君々(上級神女)、次女はノロの始まりとされる。長男は「天孫氏」と名乗り、国の主として統治したという。『中山世譜』(1725年)には、地上に降り立った男女の子孫から「天帝子」が誕生し、その長男が「天孫氏」であるとし、さらに後世の言い伝えでは、天帝子、天太子、天孫氏という順で称している。また1875年の『聞得大君御殿並御城御規式之御次第』には、「天タイシ」と「天テイシ」の子供の一人が天孫氏の開祖になったとあり、「天タイシ」は天帝子の呉音読みで、「天テイシ」とは別の神であると思われる。
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「天地開闢」の例文・使い方・用例・文例
- 天地開闢
- 天地開闢論
- 天地開闢{かいびゃく}
天地開闢と同じ種類の言葉
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