中山世鑑
中山世鑑
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/06 01:32 UTC 版)
1650年に、羽地は国王尚質の命により琉球王国初の正史の編纂を行った。これが『中山世鑑』である。この書物は序・総論を含め全6巻で構成され、地の文については漢字仮名まじり文(和文)で表記されている。 現存するものは1816年に書き改められたものであるとされるが、内容や構成については羽地の時代のものがそのまま書写されたと考えて良いとされる。 内容については、開闢伝説から、舜天、英祖、察度の各王統を経て第一尚氏、第二尚氏王統へと擬制的に連続して語られる。開闢伝説に登場する天孫氏や利勇は羽地による創作だとされている。また、舜天王統紀では源為朝が舜天の父であるとされるが、これも羽地の創作であるとされる。 1530年頃から日本の一部で語られ、17世紀初頭には琉球にも流入していたとされる為朝伝説が舜天王統紀に接続されることで、源氏と琉球の王統が接続されたのである。第二尚氏王統は、尚清王代の1555年まで記述されている。 日本年号の使用や島津氏附庸之国という記述、また尚真紀や尚寧紀を欠いている点や、本来連続性のない各王統を禅譲や国王出生の際の日光感精説話などといった中国的な思想を盛り込み連続させている点から、本書の基本的な立場は薩摩への配慮と儒教倫理であるとされている。同様に、このような手法を用いて王統の始祖の誕生を神秘化し神聖視して叙述するのも羽地の特徴であるとされる。なお、本書が薩摩に提出されたのは、羽地の死後である尚貞30年(1698年)である。 本書には、諸見友重による訳注が存在する。
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