中山世鑑とは? わかりやすく解説

中山世鑑

読み方:チュウザンセカン(chuuzansekan)

分野 歴史書

年代 江戸前期

作者 向象賢(羽地朝秀)


中山世鑑

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/02 05:44 UTC 版)

中山世鑑』(ちゅうざんせいかん)は、琉球王国の初めての正史である。




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中山世鑑

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/06 01:32 UTC 版)

羽地朝秀」の記事における「中山世鑑」の解説

1650年に、羽地国王尚質の命により琉球王国初の正史編纂行った。これが『中山世鑑』である。この書物は序・総論含め6巻構成され地の文については漢字仮名まじり文和文)で表記されている。 現存するもの1816年書き改められたものであるとされるが、内容構成について羽地時代のものがそのまま書写されたと考えて良いとされる内容については、開闢伝説から、舜天英祖察度の各王統経て第一尚氏第二尚氏王統へと擬制的に連続して語られる開闢伝説登場する天孫氏利勇羽地による創作だとされている。また、舜天王統紀では源為朝舜天の父であるとされるが、これも羽地創作であるとされる1530年頃から日本一部語られ17世紀初頭には琉球にも流入していたとされる為朝伝説舜天王統紀に接続されることで、源氏琉球王統接続されのである第二尚氏王統は、尚清王代の1555年まで記述されている。 日本年号使用島津氏附庸之国という記述、また尚真紀や尚寧紀を欠いている点や、本来連続性のない各王統禅譲国王出生の際の日光感精説話などといった中国的な思想盛り込み連続させている点から、本書基本的な立場薩摩への配慮儒教倫理であるとされている。同様にこのような手法用いて王統始祖誕生神秘化し神聖視して叙述するのも羽地特徴であるとされる。なお、本書薩摩提出されたのは、羽地死後である尚貞30年1698年)である。 本書には、諸見友重による訳注存在する

※この「中山世鑑」の解説は、「羽地朝秀」の解説の一部です。
「中山世鑑」を含む「羽地朝秀」の記事については、「羽地朝秀」の概要を参照ください。

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