志多伯天将とは? わかりやすく解説

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志多伯天将

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/08 03:35 UTC 版)

志多伯 天将(したはく てんしょう、1646年1月4日順治2年12月8日)- 1725年1月29日雍正2年12月16日))は、琉球王国歴史家、官僚。正史中山世譜』を編纂。志多伯家10世で蔡温の父。金城親雲上梁沢の子で後に志多伯家の養子になった。唐名を蔡 鐸(さい たく)という。童名 (琉球諸島・奄美群島)思徳(うみとく)。




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