大月氏とは? わかりやすく解説

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だい‐げっし【大月氏】

読み方:だいげっし

匈奴(きょうど)に追われ西遷し、バクトリア大夏)を支配した月氏主力。のち、この地方起こったクシャン朝をも中国では大月氏とよんだ。→月氏


だいげっし 【大月氏】

月氏

月氏

(大月氏 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/18 09:11 UTC 版)

月氏(げっし、拼音:Yuèzhī)は、紀元前3世紀から1世紀ごろにかけて東アジア中央アジアに存在した遊牧民族とその国家名。紀元前2世紀匈奴に敗れてからは中央アジアに移動し、大月氏と呼ばれるようになる。大月氏時代は東西交易で栄えた。『漢書』西域伝によればに近い文化言語を持つとあるが、民族系統については後述のように諸説ある。


  1. ^ 『史記』匈奴列伝・大宛列伝、『漢書』西域伝
  2. ^ 翕侯(きゅうこう)とはイラン系遊牧民における“諸侯”の意。烏孫などにも見受けられる。ベイリによればイラン語で“統率者”の意で、E.G.プーリーブランクによればトカラ語で“国家”の意であるという。また、のちのテュルク系国家に見られるヤブグ(葉護:官名、称号)に比定されることもある。
  3. ^ 『後漢書』西域伝では休密雙靡貴霜肸頓都密の五部翕侯となっている。
  4. ^ 『漢書』西域伝、『後漢書』西域列伝
  5. ^ 『後漢書』西域列伝
  6. ^ 『魏書』列伝第九十
  7. ^ 『三国志』烏丸鮮卑等伝、『魏書』列伝第九十
  8. ^ 『北史』列伝第八十五、『隋書』列伝第四十八、『新唐書』列伝第一百四十六下
  9. ^ 小谷 1999,p22-23
  10. ^ a b c d 岩村 2007,p101
  11. ^ 小谷 1999,p23-24
  12. ^ ベックウィズ 2017,p156-157,p540-544
  13. ^ 榎一雄は大月氏における五翕侯を大月氏によって任命された土着有力者とした。
  14. ^ 江上波夫は五翕侯を大月氏によって任命された月氏人戦士の封建諸侯であるとした。
  15. ^ クチャ、カラシャール、トルファン地域。旧天山ウイグル王国領。
  16. ^ a b 徐文堪『吐火羅人起源研究』
  17. ^ 長安から文の刻まれた銅製仏座が出土
  18. ^ 『史記』大宛列伝、『漢書』西域伝、『後漢書』西域列伝、『魏書』列伝第九十
  19. ^ 『魏書』志第二十 釈老志
  20. ^ 中国考古学者バクトリア地域に古代「月氏族」の遺跡を発見 AFP(2018年1月27日)2018年1月28日閲覧
  21. ^ 小松久男『中央ユーラシア史』P102


「月氏」の続きの解説一覧

大月氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 03:47 UTC 版)

月氏」の記事における「大月氏」の解説

イシク湖周辺逃れてきた月氏残党(大月氏)は、もともとそこにいた塞族の王を駆逐してその地に居座った。しかし、老上単于在位:前174年 - 前161年)の命により、烏孫昆莫攻めてきたため、大月氏はまた西へ逃れ最終的に中央アジアソグディアナ粟特)に落ち着いた。そこで大月氏はアム川の南にあるトハリスタン大夏)を征服し、その地に和墨城の休密翕侯(きゅうびきゅうこう)、雙靡城の雙靡翕侯(そうびきゅうこう)、護澡城の貴霜翕侯(きしょうきゅうこう)、薄城の肸頓翕侯(きつとんきゅうこう)、高附城の高附翕侯(こうふきゅうこう)の五翕侯置いた一方前漢では日々匈奴侵入悩まされていたため、遂に西方月氏共同匈奴を討つべく、武帝在位:前141年 - 前87年)の時代張騫使者とした使節団西域派遣した張騫匈奴捕われるなどして10年上かけ西域大宛康居経て、ようやく大月氏国にたどり着いた。この時の大月氏王はかつて匈奴殺され先代王の夫人で、女王であった。大月氏王は張騫用件聞いたが、やむなく移動してきた現在の土地が豊かで国家安泰しており、すでに復讐の心は無く、漢が遠い国であることもあり、同盟を組むことはなかった。

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大月氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 03:47 UTC 版)

月氏」の記事における「大月氏」の解説

大月氏のいた場所は、『史記』や『漢書』に「大月氏国の都は嬀水の北に在り、その川の南にある大夏を役属させていた」という記述があることから、嬀すなわちアム川の北(ソグディアナ)に在ったことが分かるまた、その周辺国として北に康居、東に大宛、南に大夏、西に安息パルティア)があった。 また、大月氏の都は『漢書』では監氏城、『後漢書』では氏城、『魏書』では盧監氏城から薄羅城となっている。

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大月氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 02:40 UTC 版)

クシャーナ朝」の記事における「大月氏」の解説

紀元前2世紀匈奴圧迫され移動開始した遊牧民月氏は、中央アジアバクトリア定着した。これを大月氏と呼ぶ。『漢書』西域伝によれば、大月氏は休密翕侯・貴霜翕侯・雙靡翕侯・肸頓翕侯・高附翕侯の五翕侯置いて分割統治したという。それから100余年後、五翕侯のうちの貴霜翕侯(クシャンきゅうこう)が強盛となり、他の四翕侯を滅ぼして貴霜王と称すようになった。 大月氏の諸侯それぞれコイン発行していたが、貴霜翕侯が発行したコインは他の諸侯発行したコイン比べ数も多く大型コイン貴霜翕侯の物し鋳造されなかった。

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