大峰の月に帰るや夜学人とは? わかりやすく解説

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大峰の月に帰るや夜学人

作 者
季 語
季 節
秋 
出 典
前 書
 
評 言
 「灯火親しむべし」という言葉は、死語になってしまった。
夜学」と聞くと、定時制高校思い浮かべる同級生中にも定時制進学した仲間数人いた。4年間で卒業するのはなかなか困難で、5年6年かかってやっと卒業というのが普通なんだ、と聞いたことがある。ほとんどの学生が昼は働いて、夜5時か6時ごろから授業が始まる。その時間に遅刻しない学校行ける日は年に数日で、毎日遅刻だそうだ。それでも通い続けるのは勉強するのが楽しい、友達の顔を見るのが楽しいからだそうである。
 それがいつの間にか、偏差値という数字によって全日制進学できないが行くようになり、昼ぶらぶらしていやいやながら通う、勉強しに行くのではない、そんな傾向強くなったらしい。でも一方勉学意欲満ちた夜学生のいることを忘れない夜学人、夜学子に「夜学」という悲壮感はない。時代を写す人間の姿がそこにあるだけのことかもしれない文部科学省平成19年度学校基本調査で、全日制高校生徒数329万人対し定時制高校生徒数11万人、多いと見るか少ないと見るかの判断できないが、それでも夜学に通う生徒11万人いるという事実がある
 灯火親し夜業夜なべ夜仕事など、類似の季語はあるが、これらは、農家町人世界である。昼の仕事を補うために行なうであって、これもある意味いやいやなのかもしれないが、生活がかかっている。現在の残業に近い。サービス残業というへんてこな形もあるが、どうなっているのか。労働創造性がまったくそこにはなく、単にそろばん勘定しかないのも哀れと言うべきか。
 飯田蛇笏掲句背景南アルプスであろうか、ちっぽけ何の力もない、真面目に勉学いそしむほか手だてのない夜学生に、山岳系にかかる月を大きな背景として配置する夜学生アイデンティティー存在証明であろう。学ぶという人間存在大自然への帰属であるのか。大きな構成中に夜学」という本来の仕事とは思えない光から遮られ部分への目配りと言えよう。飯田蛇笏自然と人間の平行軸
 現代では、灯火親し夜学残業確定され季節の中で捉えどころのないものになっていることは確かである。現代俳句協会編『現代俳句歳時記』では「夜学」は無季部類入っていることを付言しておく。
山廬集」1932(昭和7)年
 
評 者
備 考
 



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