古代ローマの家族観
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 21:34 UTC 版)
キリスト教以前の古代ローマの家族制は、家父長の家族員に対するタテの関係を中心とする。祖父の家長権が孫にも及び、家長でない父母の子に対する親権の併存は認められない(家長権の排他性)。初期ゲルマン、ヘブライの家長権も同じ。 家長権が同一家屋に住む夫婦とその未成年の子に止まらず複数世帯間に及びうる点で、日本の戸主権と共通するが、戸主権は隠居の尊属にも及び、旧民法・明治民法は親権の併存を認める点で異なる。女性が例外的に家長たりえるのも日本の特徴である。 奴隷制の発達した中期ローマでは、家族団体の構成員には所有奴隷が含まれ、家長は文字通り家族員に対する生殺与奪の権利を有した(家長権の絶対性、アントニヌス勅令により制限)。家族員の稼ぎは家長個人の所有に帰し、財産の帰属が明確で処分も容易なため、商工業および都市生活に適合する。 ローマの大家族制は近世西欧法には継承されなかったから、ドイツ民法典に戸主権類似の制度は存在しない。 日耳曼(ゲルマン)では…段段時勢の変化するに従って成年に達して独立の生計を営む者は最早家長権には服さぬことになった…父の権力には服するけれども祖父の権力に服することはない…此点に付ては羅馬(ローマ)法の本元たる伊太利(イタリア)すらも日耳曼法の主義に従うやうになって…それで今日欧羅巴(ヨーロッパ)には…父権と云ふものは認めて居ますけれども戸主権と云ふものは認めていない。 — 梅謙次郎「家族制ノ将来ヲ論ス」1902年(明治35年) 婚姻については極端な契約的婚姻観に立ち、手紙などで意思の合致さえあれば一度も会ったことが無くても婚姻が成立・解消するが、私通・秘密婚の弊害が横行した。もっとも、八束によれば、そのような家族観は長くは続かず、キリスト教以前の欧州の家族は祖先教を本源とした点で日本と共通するという。 民法家が我国に行はんとするが如き家とは一男一女の自由契約(婚姻)なりと云ふの冷淡なる思想は絶て古欧に無き所なり…欧土の古法は祖先の祭祀を同ふする者を家族と云ふ…之を我国非耶蘇教の習俗に照応するときは相似たる者あり。 — 穂積八束「民法出テゝ忠孝亡フ」、1891年(明治24年)
※この「古代ローマの家族観」の解説は、「民法典論争」の解説の一部です。
「古代ローマの家族観」を含む「民法典論争」の記事については、「民法典論争」の概要を参照ください。
- 古代ローマの家族観のページへのリンク