古代エジプトのナポレオンとは? わかりやすく解説

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古代エジプトのナポレオン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/18 09:35 UTC 版)

エジプト第18王朝」の記事における「古代エジプトのナポレオン」の解説

ハトシェプスト時代長い平和の間に、アジア方面ではエジプト覇権危機訪れていた。それはかつてトトメス1世によってシリア・パレスチナから排除されミタンニ王国が、シリア北部カデシュ王を盟主とした対エジプト同盟結成させてエジプト影響力をそぎ落としにかかり、やがてカデシュ王らにパレスチナ要衝メギド占領されシリア北部におけるエジプト宗主権失われてしまったのであるこうした状況対しトトメス3世単独統治開始後わずか半月アジア遠征開始した進発から10日ガザ到達して町を占領した。これに対しエジプト勢力エジプトからメギドに向かう道を封鎖してエジプト軍待ち構えたが、トトメス3世カルメル山峠道強行突破して敵軍の虚を着き圧勝した。反エジプト諸国の軍はメギド市に撤退して篭城したが、これも7ヶ月間の包囲戦の末陥落させたのであるメギドの戦い)。この勝利エジプトのシリア・パレスチナ支配転換点となったトトメス3世降伏したシリア地方諸国に対して忠誠を誓わせたが、更にシリア対す支配強めるために諸王に対して王子人質としてエジプトに送ることを定めシリアいくつかの管区分けて監督官置いた。 もっとも、この勝利の後も、カデシュ王をはじめとしてシリア地方諸国はしばしエジプト敵対的な態度示したトトメス3世以後、夏が訪れるたびにアジア遠征繰り返し、その回数治世の終わりまでの間に17回に達している。エジプトにとってこうしたシリア地方支配における最大問題同じくシリアへの勢力拡張を狙うミタンニ王国であり、支配磐石ものとするためにはミタンニそのもの撃退する必要があった。これを企図して行われたのがトトメス3世治世33年行われた第8回アジア遠征で、トトメス3世が行ったアジア遠征の中で最大規模を持つものであるエジプトミタンニ両国の軍はハラブアレッポ付近遭遇戦闘が行われた。トトメス3世はこれに勝利し敗走するミタンニ軍を追ってユーフラテス川到達、更に川を超えて前進しシリアからミタンニ軍を放逐した我が神はアジア果てまで進まれた。余は「ビュブロスの妻」の御前で、神の国山々の木を伐採し多数荷船を作らせた。船が車に積まれると牛が車を引いていった。船はこの外国ミタンニとの境を流れるあの大河を渡るために、我が神の前を進んでいった。…余を襲った者を追って川を群の先陣切って真っ先渡りミタンニ異郷にあの惨めに逃げ回る敗残者を捜し求めた。するとこ奴は他の土地へ、遠方へと、我が神の前を恐怖駆られて逃げていく。 トトメス3世勝利を収め、かつてトトメス1世が行たようにユーフラテス川沿いに境界石建設すると、帰途に象狩りをするなどの余裕見せて凱旋した。 この勝利シリアにおけるエジプト権利国際的に承認させる事に繋がったミタンニ以外の当時オリエント世界大国、即ちヒッタイトバビロニアカッシート朝)がシリアにおけるエジプト地位承認する使者立てた。なおシリアではカデシュ中心にエジプト動きがあったが、やがて完全に鎮圧された。 17回のアジア遠征によってシリア支配確立したトトメス3世南方に軍を転じナイル川第4瀑布ナバタ地方までを征服エジプト史上空前勢力確立する至ったヌビア第二瀑布を境に下ヌビア(ワワト)と上ヌビアクシュ)に分割されそれぞれに副総督置かれヌビア総督(南の異国王子)を補佐する体制築かれた。以降ヌビアからは毎年300kgに達する金が貢納されたという。 このような成果見て近代学者ジェームズ・ヘンリー・ブレステッドはトトメス3世を「古代エジプトのナポレオン」と評したのである

※この「古代エジプトのナポレオン」の解説は、「エジプト第18王朝」の解説の一部です。
「古代エジプトのナポレオン」を含む「エジプト第18王朝」の記事については、「エジプト第18王朝」の概要を参照ください。

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