ミタンニ【Mitanni】
ミタンニ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/18 01:43 UTC 版)
ミタンニ(ヒッタイト語:Mi-ta-an-ni)またはミッタニ(ヒッタイト語:Mi-it-ta-ni、アッシリア語: Ḫa-ni-gal-bat - 「ハニガルバト」)は、フルリ人が紀元前16世紀頃メソポタミア北部のハブル川上流域を中心に建国した王国である。多民族社会で戦士階級に支配される封建的国家だった。フルリ人の系統は不明だが、支配階級層については元はインド・アーリア語派の出自を持つと推定される(後述)。
注釈
出典
- ^ a b “貯水池から古代の宮殿が出現、干ばつで水位下がる イラク北部”. CNN (2019年7月2日). 2022年6月21日閲覧。
- ^ “約3400年前の“王国の遺跡”が突如出現! 歴史的発見に”. テレ朝NEWS (2022年6月10日). 2022年6月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年6月21日閲覧。
- ^ “Mitanni City emerges from the Mosul Reservoir” (英語). The Wild Hunt (2022年6月8日). 2022年6月21日閲覧。
ミタンニ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/04 07:46 UTC 版)
フルリ人によりその礎を築かれ、ワスガンニに首都を置く新興国。かつてはシュッピルリウマ1世の好敵手であったトゥシュラッタ王によって急速に力を付け、オリエント内でヒッタイトやエジプトと勢力を分ける強国となった。戦車部隊は、オリエント一との呼び声が高い。キッズワトナへ掛けた夜襲を期に、カイルが指揮するヒッタイトと争うようになる。 黒太子 マッティワザ / マッティワザ1世 声 - 堀内賢雄 「血の黒太子」と恐れられる、ミタンニのトゥシュラッタ王の王太子。ネフェルティティ(タトゥーキア)の最愛の弟。 長く黒々としたウェーブヘアをなびかせ、黒衣に身を包む冷酷非情の暴君。攻め落とした国は、女子供構わずその戦車で蹂躙していた。しかしエジプトへの輿入れで強欲な権力者のネフェルティティへと変貌を遂げたタトゥーキアへの幻滅を口にしながら、黒玻璃のイヤリングの片方を形見として額飾りにしていたり、後宮内の姉の元部屋(青鹿の間)への立ち入りを厳禁とするなど、ずっと姉を忘れられず、28人の側室を持ちながらも正妃を置いていない。ヒッタイトによるミタンニ陥落で、ナディアの真摯な愛に気付き、その祖国バビロニアへ亡命することを承諾する。後にカイルの恩赦でミタンニの再建と即位を許され、新国王としてヒッタイトの藩属国となり、エジプトとの最終決戦では重要な戦力となる。 ナディア バビロニア王家出身の、マッティワザの側室。ナキアの妹。 ムルシリ1世の侵略で弱体化していたバビロニアを、ミタンニの侵略から護るという父の命で嫁ぐも、マッティワザを心から愛してしまう。そのためにウルヒと共謀し、新たに側室となったユーリを殺そうとして失敗。ヒッタイトによるミタンニの陥落にもマッティワザへの追従を迷わず、カイルの恩赦までバビロニアにて匿う。マッティワザとの間に、第1王女と第2王子の2人の子をもうける。 マットゥアラ 新ミタンニ王国の王太子であり、マッティワザの息子。 胸まで届く黒いウェーブヘアを、脇で一纏めにした青年。カイルとユーリの結婚式に、マッティワザの名代として臨席する。
※この「ミタンニ」の解説は、「天は赤い河のほとり」の解説の一部です。
「ミタンニ」を含む「天は赤い河のほとり」の記事については、「天は赤い河のほとり」の概要を参照ください。
ミタンニと同じ種類の言葉
固有名詞の分類
- ミタンニのページへのリンク