反プロテスタント主義の強硬派とは? わかりやすく解説

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反プロテスタント主義の強硬派

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/16 08:45 UTC 版)

パウルス4世 (ローマ教皇)」の記事における「反プロテスタント主義の強硬派」の解説

ジョヴァンニ・ピエトロ・カラファはナポリ名家一員としてベネヴェント生まれ伯父のオリヴィエロ・カラファ(英語版枢機卿指導を受け、彼の推薦教皇庁入ったキエーティ司教1505年 - 1524年)、教皇レオ10世指示によってイングランド教皇特使1513年 - 1514年)、スペイン教皇大使1515年 - 1520年)、ブリンディジ大司教1518年 - 1524年)を歴任したスペイン冷遇され、そこで感じた強烈な嫌悪感神聖ローマ皇帝スペイン王カール5世ハプスブルク家対す不信感繋がり、後の教皇として姿勢影響を及ぼすことになる。 1524年クレメンス7世許し得て全ての聖職禄辞し、ガエターノ・ティエーネ(イタリア語版)と共同でテアティノ会(英語版)として知られる聖カエタノス修道会創設加わり初代総長として修道生活に入った。ところが1527年ローマ略奪でテアティノ会はローマからヴェネツィア退去、カラファもヴェネツィア逃れティエーネ次の総長になったが、カラファは1532年ヴェネツィア教会改革意見書クレメンス7世送り改革派急先鋒として知られるようになった。やがて改革教皇といわれていたパウルス3世に声をかけられローマ戻り、ガスパロ・コンタリーニ(英語版)、レジナルド・ポールと共に教会改革のための委員任命された。 カラファが権力中枢についたことは、人文主義的な教皇時代終わりスコラ学トマス・アクィナスの徒であったカラファの時代になったことを顕著にあらわすものであった1536年12月にカラファは枢機卿選出され1542年ローマの異端審問所所長にも任命されイタリア異端審問所再編成して異端根絶プロテスタントカトリック復帰厳し手段をもって努力した。この時から厳格さ無慈悲さ恐れられ、「異端であれば例え自分父親であっても火炙りにするだろう」と公言してはばからなかった。 強硬な態度プロテスタントへの姿勢にも表れていた。マルティン・ルタープロテスタント一定の理解示し対話考えハト派のコンタリーニに対して最初からプロテスタント異端見做し弾圧主張するタカ派のカラファは意見合わず両者カトリック教会風紀粛清人事刷新目的一致していたが手段違いがあり、前者説得後者弾圧重視していた。このため1541年プロテスタントカトリック和解求め皇帝カール5世意向沿ってレーゲンスブルクフィリップ・メランヒトンマルチン・ブツァープロテスタント対話して妥協したコンタリーニにカラファは激怒パウルス3世ルター妥協拒否したため、カトリックとプロテスタント和解失敗しカトリックはカラファの路線突き進むことが明らかになった(コンタリーニは翌1542年死去)。1545年から開会したトリエント公会議出席したが、ここでもコンタリーニと同じハト派見たポールルター派だと非難している。ポールへの敵視この後続き1549年パウルス3世死後のコンクラーヴェでは教皇有力候補だったポールを再びルター派だと非難して落選追いやったとされている。 1549年から1555年までナポリ大司教務め1553年ユリウス3世により首席枢機卿任命1555年3月23日ユリウス3世死去続いて選出されマルケルス2世5月1日急死したため、5月23日コンクラーヴェ妥協案として選出されたカラファは教皇パウルス4世名乗った

※この「反プロテスタント主義の強硬派」の解説は、「パウルス4世 (ローマ教皇)」の解説の一部です。
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