列福調査(「尊者」認定を申請するための調査)
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「ヴィンチェンツォ・チマッティ」の記事における「列福調査(「尊者」認定を申請するための調査)」の解説
カトリックでは死後の優れた信徒に対して「尊者」「福者」「聖人」の称号を付与している。聖人はたとえば「聖フランシスコ」など「聖」をその名に冠する。まずその人物の生涯の調査の結果、該当者ならカトリック教会は「尊者」とする。その「取り次ぎ」(その人物に祈りを捧げることで、天国でその人物が神からの恵みを取り次いでくれるのこと)によって、もし奇跡が確認されれば、まず「福者」に、さらにもうひとつの奇跡が確認されると「聖人」へと認定される。「奇跡」とはたとえば治癒不能な病気が治癒することなど、科学で説明不可能な事案のことであり、ヴァチカン奇跡調査委員会が個別に調査し認定する出来事。チマッティ神父の場合、死後「尊者」認定を申請するために調査が行われた。サレジオ神学院の院長であったクレヴァコーレ神父が日本、イタリアでの関係者からの証言を収集。5,400通におよぶ手紙なども精査され、1976年11月26日から1978年1月24日にわたる東京教区とトリノ教区での調査のまとめ2巻と付属資料50巻が1978年6月3日教皇庁から任命された調査委員会に送られた。なお、教会法の規定により調査終了の前に司教、調査委員、医師団の立会いの元で、遺体を検案することになっており1977年11月18日、調布サレジオ神学院地下聖堂で棺を開け、検案が実施された。二人の医師の記録はこう記している。「遺体はミイラ状態に非ず、死蝋状態に非ず、白骨化せず、全身にやや湿潤す。死臭は存せず、ただし、特別の匂あり。皮膚は弾力性あり、軟部組織は柔軟にして弾力性あり、緒関節は他動的にほとんど正常範囲まで運動可能なり。以上の所見を総合して、死後12年を経過したる死体としては、われわれ二人の医学常識によっては説明する事は不可能なものである事を認めたい」。遺体は新しい服を着せられ、新しい石棺に安置された。 送られた資料をもとにローマで行われた調査を受けて、1991年12月21日、教皇ヨハネ・パウロ2世より「尊者」の称号が与えられた。現在は「福者」ひいては「聖人」となるため、その取り次ぎによる奇跡が待たれている。
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列福調査
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「ジョヴァンニ・バッティスタ・シドッティ」の記事における「列福調査」の解説
2019年3月7日、イタリア・パレルモ教区でシドッティ神父と2名の信徒の列福調査に関する手続きが開始された。通常、殉教地の教区が列福申請の一番目の順位となるが、神父の出身地であるパレルモ教区がカトリック東京大司教区に権限の委譲を願い、列福調査の総責任を担うこととなった。3月19日には、殉教地のカトリック東京大司教区で調査や証言の聴取が開始される。調査を任命されたのはフランシスコ会マリオ・カンドゥッチ神父であり、列福申請の調査報告書は6月にヴァチカンに提出予定と報じられた。
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