先古典期とは? わかりやすく解説

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先古典期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/08/11 21:26 UTC 版)

先古典期(せんこてんき、Preclassic Period (Stage,era))は、メソアメリカ考古学上の時代区分で、オルメカ文明が繁栄した時代として知られる。その後期に当たる時期にエル・ミラドールラマナイ、ナクベ、ヤシュナなどに巨大な建造物が築かれていることが判明してきたために、形成期(Formative Period (Stage))という用語に代えて、「古典期に先行する古典期」という意味合いで使われるようになった。 最近では、グアテマラペテン県サン・バルトロで、古典期同様のマヤ王権がすでに成立していたことを示す壁画が発見されて、マヤ王権の起源を考える上で重大な資料となっている。 アンデス文明や新大陸全体の時代区分では、「形成期」に相当する。概して紀元前2000年頃から紀元後300年の時期を指すが、紀元前後から紀元後300年頃を原古典期(Protoclassic Period (Stage,era))と位置づける研究者もいる。




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先古典期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/03 23:49 UTC 版)

アルタル・デ・サクリフィシオス」の記事における「先古典期」の解説

アルタル・デ・サクリフィシオスで最も古い建造物群グループB集中している。グループB南側位置する建造物B-Iは、アルタル・デ・サクリフィシオス最も高い建物として知られ、高さ13 mを測る建造物B-I最下層は、本来の地表建てられシェー相の住居基壇であり、それを順次覆ってピラミッド築かれていることがレイヤード・スミスとゴードン・ウィリーらの発掘調査明らかになった。最初ピラミッド様の建造物建てられたのは先古典期中期後半のマモム期(ペテン地方中心としたマヤ低地南部標式遺跡ワシャクトゥン編年先古典期中期後半に相当)並行サン・フェリクス相(紀元前600年-紀元前300年)の後半であり、構築物Gと呼ばれる南北2段ずつの階段のある低い建物であったB-I北西には、B-II構築物F、B-I向かい合って北側にあるB-IIIには構築物FとEが造られた。その後チカネル期(ワシャクトゥン編年先古典期後期に相当)並行プランチャ相の前半紀元前300年-紀元前後)にB-I-G基壇覆ってピラミッド3回わたって造られた(構築物F, E, D)。建造物B-IIは、サン・フェリクスからプランチャにかけての時期構築物D, さらにそれを覆って構築物Cが建てられている。構築物Cにかぶせて構築物Bが建てられているが、これも石灰貝殻混ぜ込んだ壁や土器出土状況から間接的に判断してプランチャ相の後半頃と考えられる建造物B-IIIもプランチャ相の前半構築物Eを覆って構築物Dが建てられ、その上を覆う構築物Cは、高さ3.6 mに達す頂部平坦につくるピラミッドで、プランチャ後半遺物を含む埋葬99号より古いことがわかっている。構築物Cを覆う構築物Bは、プランチャ相の最終末である。

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先古典期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 15:48 UTC 版)

ベリーズの歴史」の記事における「先古典期」の解説

マヤ最古土器を伴う集落遺跡前期末~中期/1200B.C.頃~900B.C.頃) マヤ文明栄えた地域なかでも最も古く先古典期中期でも最も早い時期オレンジウォーク郡オレンジウォークの西5kmクエリョ(Cuello)遺跡スペイン語版英語版)で、楕円形の基壇を持つ住居跡からなる集落跡確認され、それに伴う土器はスワジー式土器といい、放射性炭素年代測定法などでマヤ地域で最も古い土器であることが判明した巨大な建造物スタッコ人頭神殿出現後期/500B.C.頃~A.D.100頃) 先古典期後期になると、紀元前100年頃ラマナイ(Lamanai)遺跡で、建造物N10-43という、二段階段基壇の上にやや小さめ四段階段基壇載るピラミッド神殿建設され、その規模は、この建物囲んでいる広場plaza)の床面から、33mに及んでいる壮大なものであった。そして、この時期独特のマヤ神々4mに及ぶ漆喰彫刻の顔(スタッコ人頭)が建造物下部階段両脇飾っていた。また、同じようスタッコ人頭建造物基壇につけられる建物は、コロサル郡のセロスCerros遺跡でも確認されている。このほかノームルでも大規模な建築活動見られた。

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