儒教による弊害
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/30 16:18 UTC 版)
儒教では年齢・性別・階級による対応の差もあり、これにおいて李氏朝鮮では差別的な解釈が最も顕著な形で表れた。通常地位が高いと徳の高い者とされ上位者には逆らってはいけず封建社会でもあった為、官職や貴族位の者はそれ以下の賤民・奴婢を自由に使い、その財産を強制的に接収等しても位が高いため庶民は訴えを起こせず搾取され続けるに甘んじる他なかった。又、犯罪においては罪を犯した者は極悪人であり特に横暴な両班が罪により身分を剥奪されれば一斉に人々の憎悪の対象とされる、それ以外の者も殺人など重犯罪であれば酷い死か一生罪人の汚名を負い又は償い続けながら生きねばならず、それを避けるため自らの罪を認めることを頑なに拒む事になる。 また発覚後のリスクが高いといえど犯罪が少ないわけではなく、窃盗等は非常に多くそれ故か罰も重く刑罰の目標は死に至らしめる事でもあった。 文盲であった庶民は文字にって儒教を学ばない為例外であるが、地位の高い者の妻など両班に属する女性に対しては特に厳しく待遇も悪影響が見られ、両班の婦女子は外を出歩く際は頭から胴まで隠れる外套を被り、顔だけ出る様相でなければならず、時間も亥の刻(午後10時から2時間)の間と決められイザベラ・バードの紀行には昼間のソウルを見た事が無い女性も書かれている。また自宅にいても見知らぬ男が訪ねてきら主人の許しなく会うことは不可能で、もし話などして最悪の場合僅か手が触れただけで切り落とされてしまう事もあり得た。ヘンドリック・ハメルの朝鮮幽囚記に男女で刑罰に差が出ていた事が以下のように記されている すなわち夫を殺した妻は、多くの人々の通る道傍に肩まで土に埋められ、その傍らに木の鋸が置かれます。そしてそこを通る人々は貴族以外は彼女の頸をその鋸で挽いて死に至らしめなければなりません。夫が妻を殺した場合、それについて然るべき理由のあることが証明出来る場合はその理由が姦通であってもなくても、その罪によって訴えられることはありません。--ヘンドリック・ハメル 『朝鮮幽囚記』 これらは女性を守る為と貞淑さを求める事を規範としているからであるとされる。 また孔子が儒教を体系化した当時から女性に対しては男尊女卑と取れる部分もあり朝鮮儒教はこれが極めて顕著であり、結婚しても夫婦は同じ血族では無いことから別姓であり、娘が生まれ嫁いでも家の姓は子孫に残らない等封建主義の体制の為男尊女卑に傾いてしまう。
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