儀礼祭祀
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/26 21:49 UTC 版)
宮中三殿では、皇室祭祀をつかさどるため、国家行政機関たる宮内庁の組織とは別の内廷の組織として、掌典職が置かれ、掌典長の下に職員として掌典次長、掌典、内掌典が置かれている。 内掌典(一般の神社で巫女に相当する未婚女性)は全員が三殿北側の詰所に住む。毎朝午前8時から、賢所及び皇霊殿では内掌典、神殿では掌典が清酒や神饌などを供える「日供の儀」(にっくのぎ)をそれぞれ行う。続いて、午前8時30分には、宮内庁侍従職の当直侍従が、賢所、皇霊殿、神殿を天皇に代わって拝礼する「毎朝御代拝」(まいちょうごだいはい)を行う。日供の儀及び毎朝御代拝の各儀式は、廃朝(天皇が執務しないこと)や宮中喪が発せられていても、欠かさず行われる。 宮中三殿の祭祀は、明治維新から宮中祭祀の変遷と漸次的集約を経て、教部省が成立した直後の明治5年4月2日(1872年5月8日)に整ったと解されている。このとき鎮座された皇居内の砂拝殿は、翌1873年(明治6年)に皇居西之丸から出火の際に類焼したため、赤坂仮御所へ動座された。現在の宮中三殿の建物は、宮内省一等匠手を務めた木子清敬の設計で、1888年(明治21年)10月に竣工し、翌1889年(明治22年)1月9日に遷座された。第二次世界大戦中の1944年(昭和19年)には、空襲を避けるため皇居内の防空壕である御斎庫(おさいこ)へ動座され(翌1945年(昭和20年)の終戦により戻る)、2004年(平成16年)6月18日には、建物の耐震劣化調査のため数十メートル離れた場所に設置した仮殿(かりどの)へ一時的に動座された(同月27日に戻る)。 なお、宮中三殿の構内には、附属するいくつかの建造物も配置されている。三殿の西方にあるのが神嘉殿(しんかでん)で、普段は空殿だが、毎年11月30日に新嘗祭が行われ、神嘉殿前庭では、元旦に四方拝が行われる。その他、鎮魂祭や天皇・皇后の装束への着替えが行われる綾綺殿(りょうきでん)、皇太子・皇太子妃の着替えが行われる東宮便殿(とうぐうびんでん)、神楽を奉納する神楽舎(かぐらしゃ)、楽師が雅楽を演奏する奏楽舎(そうがくしゃ)、列席者が待機する左幄舎(ひだりあくしゃ)と右幄舎(みぎあくしゃ)、賢所に正対する賢所正門、新嘉殿に正対する新嘉門などが配されている。
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