きゅうちゅう‐さいし【宮中祭×祀】
宮中祭祀
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/30 08:20 UTC 版)
宮中祭祀(きゅうちゅうさいし)は、天皇が国家と国民の安寧と繁栄を祈ることを目的におこなう祭祀。皇室祭祀とも呼ばれる[1][2]。皇居の宮中三殿で行われる祭祀には、天皇が自ら祭典を斎行し、御告文を奏上する大祭と、掌典長(掌典職)が祭典を行い、天皇が親拝する小祭、毎月1日・11日・21日に掌典長が祭典を行い、原則として1日には天皇が親拝する旬祭がある[3]。
注釈
- ^ なおアマテラス大神以前の大王家の至高神はタカミムスビ神(高産霊神/高御産巣日神)であったと言われている[7]。
- ^ 天武二年十二月には「大嘗」、天武五年九月、十一月と天武六年十一月には「新嘗」の記録が見られ、持統五年の十一月にも「大嘗」の記録が見られる[12]。
- ^ 明治天皇の代拝が増加したのは日清戦争以降[54]、大正天皇の代拝が増加したのは病状が悪化して以降である[55]。
- ^ 溥傑自伝は、満州国皇帝溥儀と昭和天皇の会話の後から天皇が自ら田に入るようになったとしている[要出典]。
- ^ このように真摯に宮中祭祀に取り組んでいた昭和天皇であるが、摂政宮時代の1922年、新嘗祭に出御せずにビリヤードに興じていたという若い頃のエピソードもある[60]。
- ^ 神武天皇及先帝ノ式年祭ハ陵所及皇霊殿ニ於テ之ヲ行フ但シ皇霊殿ニ於ケル祭典ハ掌典長之ヲ行フ(皇室祭祀令第18条)
- ^ 皇室祭祀令では「先后の式年祭」と「皇妣たる皇后の式年祭」に分けられているが、制定以降の皇位継承は全て父子間で行われているため、「先后(先帝の皇后)」と「皇妣たる皇后(母后)」は一致している。
- ^ 貞明皇后の50年式年祭は、香淳皇后の大喪期間中であったため行われなかった[96][97]。
出典
- ^ “皇室祭祀”. 神社本庁. 2024年1月15日閲覧。
- ^ 皇室編集部 (2017), p. 108.
- ^ a b “宮中祭祀”. 宮内庁. 2024年1月15日閲覧。
- ^ a b 佐々木宏幹 (1992), pp. 130–138.
- ^ 松前健 (2003), pp. 55–63.
- ^ 松前健 (2003), pp. 66–76.
- ^ 松前健 (2003), pp. 77–86.
- ^ 木村大樹 (2022), p. 22.
- ^ 伊藤聡 (2012), p. 24.
- ^ 木村大樹 (2022), pp. 93–94.
- ^ (松前健『日本神話の謎がよくわかる本』大和書房、2007年12月30日、50頁)
- ^ a b 木村大樹 (2022), p. 31.
- ^ a b 伊藤聡 (2012), pp. 33–37.
- ^ 伊藤聡 (2012), p. 35.
- ^ 八束清貫 (1957), pp. 20–22.
- ^ 中澤伸弘 (2010), pp. 78–80.
- ^ 小倉慈司 & 山口輝臣 (2018), pp. 60–63.
- ^ 小倉慈司 & 山口輝臣 (2018), pp. 59–61.
- ^ 小倉慈司 & 山口輝臣 (2018), pp. 54–55.
- ^ a b 井原今朝男 2013, p. 298.
- ^ 小池康寿 (2015), p. 36.
- ^ 斎藤英喜 (2007), p. 31.
- ^ 繁田信一 (2005), p. 129.
- ^ a b 小池康寿 (2015), p. 38.
- ^ 林淳 (2005), p. 53.
- ^ 林淳 (2005), p. 52.
- ^ 小倉慈司 & 山口輝臣 (2018), p. 81.
- ^ 井原今朝男 2013, p. 310.
- ^ 井原今朝男 2013, p. 288.
- ^ 井原今朝男 2013, p. 318.
- ^ 小倉慈司 & 山口輝臣 (2018), pp. 56–63.
- ^ 榎村寛之 (2010), pp. 71–72.
- ^ 中澤伸弘 (2010), p. 15.
- ^ 小倉慈司 & 山口輝臣 (2018), pp. 120–129.
- ^ 小池康寿 (2015), p. 33.
- ^ 林淳 (2005), pp. 44–48.
- ^ 圭室文雄 (2006), p. 279.
- ^ 小池康寿 (2015), p. 34.
- ^ 繁田信一 (2006), pp. 72–76.
- ^ 林淳 (2005), pp. 75–77.
- ^ 岡田荘司 (2010), pp. 136–137.
- ^ 木場明志 (1982), pp. 55–65.
- ^ 藤田覚 (2018), pp. 23–24.
- ^ 小倉慈司 & 山口輝臣 (2018), pp. 136–137.
- ^ 中澤伸弘 (2010), pp. 59–61.
- ^ 小倉慈司 & 山口輝臣 (2018), p. 133.
- ^ 小倉慈司 & 山口輝臣 (2018), pp. 133–138.
- ^ 斎藤吉久 2009, p. 20‐21.
- ^ 小倉慈司 & 山口輝臣 (2018), pp. 165–170.
- ^ 武田秀章 (1996), pp. 79–82.
- ^ 藤田覚 (2018), pp. 182–183.
- ^ 藤田覚 (2018), p. 183.
- ^ 西川誠 (2018), pp. 300–305.
- ^ 小倉慈司 & 山口輝臣 (2018), pp. 232–234.
- ^ 小倉慈司 & 山口輝臣 (2018), p. 235.
- ^ 坊城俊良 (2018), pp. 43–45.
- ^ 西川誠 (2018), pp. 255–256.
- ^ 「陛下、皇居でお稲刈り」『産経新聞』2023年9月13日付
- ^ 藤田尚徳 (2015), pp. 9–11.
- ^ 原武史 (2008), p. 67.
- ^ 木下道雄 (2017), pp. 545–548.
- ^ 木下道雄 (2017), pp. 554–556.
- ^ 高橋紘 & 鈴木邦彦 (1989), pp. 195–208.
- ^ 高橋紘 & 鈴木邦彦 (1989), pp. 209–214.
- ^ 宮内省以命通牒(昭和22年5月3日宮内府長官官房文書課発第45号)
- ^ ブリタニカ・ジャパン ブリタニカ国際大百科事典『皇室祭祀』コトバンク 。
- ^ 高乗智之 (2020), pp. 27–28.
- ^ “皇室の御活動”. 内閣官房. 2024年1月16日閲覧。
- ^ 高乗智之 (2020), pp. 24–26.
- ^ 斎藤吉久 2009, p. 139.
- ^ 『中外日報』昭和59年2月10日付
- ^ 『小日本』昭和59年10月
- ^ 小堀桂一郎 (2019), p. 83.
- ^ NHKスペシャル 象徴天皇 素顔の記録 - NHK名作選(動画・静止画) NHKアーカイブス
- ^ 茂木貞純 & 佐藤健二 (2019), p. 10.
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as “主要祭儀一覧”. 宮内庁. 2024年1月15日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af 平凡社 世界大百科事典『皇室祭祀』コトバンク 。
- ^ 小学館 日本国語大辞典『歳旦祭』コトバンク 。
- ^ 小学館 日本国語大辞典『元始祭』コトバンク 。
- ^ 大岡弘 (2009), p. 104.
- ^ “完全保存版 皇室が行う宮中祭祀の年間スケジュール【上半期】”. NEWSポストセブン. 2024年1月15日閲覧。
- ^ a b “春季皇霊祭”. ミカド文庫. 2024年1月15日閲覧。
- ^ a b 小学館 日本国語大辞典『神殿祭』コトバンク 。
- ^ a b c d 「天皇陛下、節折の儀に臨まれる 秋篠宮ご夫妻、ご結婚から30年」『産経新聞』2020年7月3日付
- ^ a b c d “大祓”. ミカド文庫. 2024年1月15日閲覧。
- ^ “神嘗祭”. ミカド文庫. 2024年1月15日閲覧。
- ^ 小学館 日本国語大辞典『大嘗祭』コトバンク 。
- ^ a b 大岡弘 (2009), p. 113.
- ^ 小学館 日本国語大辞典『式年祭』コトバンク 。
- ^ 小学館 日本国語大辞典『式年』コトバンク 。
- ^ “昭和天皇祭”. ミカド文庫. 2024年1月15日閲覧。
- ^ 「神武天皇二千六百年式年祭 両陛下ご拝礼」『産経新聞』2016年4月4日付
- ^ 「昭和天皇しのび30年式年祭 両陛下、武蔵野陵を参拝」『日本経済新聞』2019年1月7日付
- ^ “宮中祭祀のお出まし(平成9年)”. 宮内庁. 2024年1月15日閲覧。
- ^ “天皇皇后両陛下のご日程”. 宮内庁. 2024年1月15日閲覧。
- ^ “宮中祭祀のお出まし(平成13年)”. 宮内庁. 2024年1月15日閲覧。
- ^ “今後の御陵及び御喪儀のあり方について”. 宮内庁. 2024年1月15日閲覧。
- ^ ブリタニカ・ジャパン ブリタニカ国際大百科事典『式年祭』コトバンク 。
- ^ “三殿御拝”. 宮内庁. 2024年1月15日閲覧。
- ^ 茂木貞純 (2019), p. 280.
宮中祭祀
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 14:05 UTC 版)
皇室祭祀令が定める大祭のひとつで、先帝崩御日に毎年斎行される。実際の祭祀の名称は先帝祭ではなく、先帝の箇所に天皇諡号が入る。 1947年(昭和22年)に皇室祭祀令は廃止されたが、以降も宮中祭祀として同様に斎行されている。平成時代は昭和天皇祭が斎行されてきたが、2019年(平成31年)4月30日の第125代天皇明仁の退位により、先帝ではなく直近の崩御した歴代天皇の祭祀として昭和天皇祭が令和時代も継続される。 先帝祭当日は、かつての休日法「年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ム」および「休日ニ関スル件」で休日となっていたが、1948年(昭和23年)に施行された現行の休日法「国民の祝日に関する法律」で休日から外された。 明治以後の先帝祭元号先帝祭日付明治 孝明天皇祭 1月30日 大正 明治天皇祭 7月30日 昭和 大正天皇祭 12月25日 平成 昭和天皇祭 1月7日 令和 昭和天皇祭 1月7日
※この「宮中祭祀」の解説は、「先帝祭」の解説の一部です。
「宮中祭祀」を含む「先帝祭」の記事については、「先帝祭」の概要を参照ください。
宮中祭祀
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 09:30 UTC 版)
宮中祭祀は、天皇が執り行う宮中の祭祀である。新嘗祭(にいなめさい)は毎年行われる。大嘗祭(だいじょうさい)は天皇の生涯一度、即位に際して執り行われる。
※この「宮中祭祀」の解説は、「祭祀 (神道)」の解説の一部です。
「宮中祭祀」を含む「祭祀 (神道)」の記事については、「祭祀 (神道)」の概要を参照ください。
宮中祭祀
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/30 13:54 UTC 版)
「解除 (行事)」も参照 701年(大宝元年)の『大宝律令』によって正式な宮中の年中行事に、その施行細則は『延喜式』に定められた。この上代の頃の儀式の様子は『儀式』『北山抄』『江家次第』などの文書で知ることができる。また『日本書紀』に天武天皇5年8月、全国の国造や郡司から馬・布・麻などの祓物を出させて大解除を行ったとする記事が見える。 現在の大祓は『養老律令』によるものだが、神祇令によれば、毎年の 6月と12月の晦日に中臣(なかとみ)が祓の麻(ぬさ)を東西(やまとかわち)の文部(ふびとべ)が祓の刀(たち)(罪穢を断つ義)を奉り、祓所にて、中臣が百官の男女に大祓詞を宣り下し、卜部(うらべ)が解除(はらえ)をしていた。この「祓所」とは多くは朱雀門であり、朱雀門前の広場に親王、大臣(おおおみ)ほか京(みやこ)にいる官僚が集って大祓詞を読み上げ、国民の罪や穢れを祓った。しかし室町時代に起きた応仁の乱で京都市街が荒廃すると、門前でのこのような儀式も廃絶してしまった。 明治4年(1871年)、明治天皇は宮中三殿賢所の前庭にて大祓を400年ぶりに復活させ、翌明治5年に太政官布告を出して『大宝律令』以来の旧儀の再興を命じた。なお、6月のものも12月のものも名称はどちらも同じく「大祓」である。 改暦の年である明治6年(1873年)より宮中祭祀では新暦6月30日と12月31日を採用している。また、同年1月7日太政官第2号布告によって6月28日から6月30日までの3日間と12月29日から12月31日までの3日間がそれぞれ休暇日(休日)とされた。ただし、6月28日から6月30日までの3日間の休暇日は、直前の同年6月23日太政官第221号布告によって取り消されている。 大祓は、大正、昭和、平成の大嘗祭に際しても執り行われた。 それまで慣例として、皇室での大祓では参列する皇室の範囲を成年男子の親王に限っていた。平成26年(2014年)6月10日、宮内庁より、男性皇族が実質少なくなったことを理由に、以降の大祓への参加を成年女性の皇族にまで範囲を広げる、と発表された。
※この「宮中祭祀」の解説は、「大祓」の解説の一部です。
「宮中祭祀」を含む「大祓」の記事については、「大祓」の概要を参照ください。
宮中祭祀と同じ種類の言葉
- 宮中祭祀のページへのリンク