休戦から現在まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 10:14 UTC 版)
詳細は「朝鮮民主主義人民共和国の国際関係」および「朝鮮統一問題」を参照 韓国 韓国は停戦後も引き続き李承晩大統領による独裁が維持され復興が遅れていた。このため北朝鮮の呼びかけにより在日朝鮮人の帰国事業が行われると日本に工作員を送り込み新潟日赤センター爆破未遂事件を引き起こし帰国事業を妨害した。クーデターにより政権を掌握した朴正煕大統領が日本と日韓経済協力協定を締結し多額の資金を得て、またベトナム出兵によって急速な復興と成長を成し遂げ、『漢江の奇跡』と称され、1980年代には日本に次ぐアジア有数の工業国となった。北朝鮮との経済格差は朴の時代に2倍、全斗煥の時代には3倍に開いた。1972年までに1万人を超える北派工作員と呼ばれる武装工作員を北朝鮮に送り込んだ。 北朝鮮 戦争開始間もない1950年6月30日には北朝鮮労働党と南朝鮮労働党が合同して朝鮮労働党が成立し、その後も同党による一党独裁が継続している。休戦直後の1953年、旧南朝鮮労働党の勢力は朴憲永らの指導者が逮捕され消滅した。1956年のスターリン批判後にはソ連との関係が悪化し、朝鮮労働党満州派の領袖である金日成が延安派・ソ連派などの国内派閥の粛清を進め、党内での独裁権を確立した(8月宗派事件)。対南工作と呼ばれるゲリラ戦やスパイを繰り返し、韓国を含む外国民の拉致を行った(北朝鮮拉致問題)。ほか、1968年の青瓦台襲撃未遂事件や1976年のポプラ事件など緊張をもたらす事件が発生した。1980年代以降は度重なる経済政策の失敗により韓国との経済格差が広がるだけでなく、ソ連崩壊や冷戦終結により東側諸国からの援助も減り、飢饉による飢餓が起きるなど深刻な経済状況が続いた。
※この「休戦から現在まで」の解説は、「朝鮮戦争」の解説の一部です。
「休戦から現在まで」を含む「朝鮮戦争」の記事については、「朝鮮戦争」の概要を参照ください。
- 休戦から現在までのページへのリンク