朴正煕とは? わかりやすく解説

パク‐チョンヒ【朴正熙】


ぼく‐せいき【朴正熙】

読み方:ぼくせいき

パクチョンヒ


朴正煕

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/01 23:00 UTC 版)

朴 正煕(パク・チョンヒ、パク・ジョンヒ[3][4]日本語読み: ぼく せいき、ハングル박 정희1917年大正6年〉11月14日 - 1979年10月26日)は、大韓民国政治家軍人。軍での最終階級は陸軍大将


註釈

  1. ^ 農村部貧困家庭の末子であったことは、朴正煕のメンタリティーを考えるうえで重要な要素である。
  2. ^ 鹿児島県士族出身、陸士25期。のち第64旅団長として沖縄戦に参加し自決。陸軍中将
  3. ^ 他は申鉉俊上尉、李周一中尉、方圓哲中尉がいた。
  4. ^ 韓国陸軍士官学校の前身である。
  5. ^ 共産主義政党1949年6月30日北朝鮮労働党と合併して朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の執政党たる朝鮮労働党となる。
  6. ^ 陸軍士官学校第8期生はそれまでの士官と性格を異にしている。韓国の陸士第1期生から第7期生までは旧日本軍の朝鮮軍勤務者と、即席で訓練されて士官になった者たちで編成されていた。これに対して第8期生は1年間の訓練を受けている点、第1期生から第7期生を合わせた数に近い1,800人を擁していたという点などで特異な存在だった。陸士第8期生は朝鮮戦争において大韓民国国軍の主要な役割を担い、その後も韓国現代史において大きな影響力を持っていた。
  7. ^ 5・16軍事クーデターによって軍の存在が政治勢力として初めて認識された。軍を政治勢力として捉えるならば、大韓民国国軍は当時において最大であるだけではなく朝鮮の歴史において最大の政治勢力だったと言える。国軍はクーデター時に約60万人を擁していた。そのうち53万人が陸軍である。これに比して、韓国併合時に日本によって解散させられた大韓帝国軍は6000人の規模でしかなかった。このことは長い李氏朝鮮の歴史において軍備が縮小される一方だったこととも関係している。
  8. ^ 李明博2008年2月25日に第17代大韓民国大統領に就任した。
  9. ^ 金泳三1993年2月25日に第14代大韓民国大統領に就任した。
  10. ^ クーデター時の朴正煕は重工業化と輸出によるテイクオフを構想してはいなかったと言われている。輸出型工業化を図るという経済政策を採用したのが政権奪取後であることも官僚的権威主義体制モデルがしばしば適用される理由の一つである。
  11. ^ 学園浸透スパイ団事件」はソウルに留学していた在日韓国人・徐勝徐俊植の兄弟が首謀者とされたことや、徐勝が顔から半身に火傷を負った姿で法廷に現れたことなどから、日本で騒がれた。特に火傷は拷問によるものだと信じられた(のちに火傷を負ったのは拷問中に苦痛に耐え切れず自殺を図ったためと判明)。日本では徐兄弟の救援運動が展開され、徐勝・徐俊植『獄中からの手紙』(岩波新書 ISBN 4-00-420163-2)はベストセラーになった。また、徐勝は実際に北朝鮮の工作船で同国に密かに入国、実際に工作員として教育を受けていたことが現在では明らかになっている。
  12. ^ 他の19人は以下の通り。昭和天皇ホー・チ・ミンポル・ポト三宅一生井上大佑ラビンドラナート・タゴール孫文マハトマ・ガンディースカルノ毛沢東リー・クアンユー鄧小平コラソン・アキノ豊田英二ラーマ5世モンコンブ・スワミナサン黒澤明ダライ・ラマ14世盛田昭夫

出典

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朴正煕(トッコ・ヨンジェ)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 14:18 UTC 版)

英雄時代 (テレビドラマ)」の記事における「朴正煕(トッコ・ヨンジェ)」の解説

アフリカより貧しと言われ祖国憂い革命決起した軍人、後に大統領チョン・テサングク・デホ企業家利用して漢江の奇跡呼ばれる経済発展指導する朴鍾圭(イ・ギュボク)朴正煕とともに革命決起した青年将校。後に大統領警護室長就任強権を揮い「泣く子も黙る大統領警護室」と国民から恐れられる

※この「朴正煕(トッコ・ヨンジェ)」の解説は、「英雄時代 (テレビドラマ)」の解説の一部です。
「朴正煕(トッコ・ヨンジェ)」を含む「英雄時代 (テレビドラマ)」の記事については、「英雄時代 (テレビドラマ)」の概要を参照ください。


朴正煕

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 07:37 UTC 版)

知日派」の記事における「朴正煕」の解説

韓国軍人政治家、第5〜9代大韓民国大統領として軍事独裁政権主導日本の陸軍士官学校卒業し満州国軍になった経歴がある(日本陸軍経歴はない)。当時通名は“高木正雄”。大統領としては、日韓基本条約を結び、日本との国交回復韓国が「日本学び強国になる」ことを目指した。プライベートでは日本統治時代評価するなど、韓国要人としては異例な発言も伝わる。一方で反日的な愛国教育推進するなどもしており、自身在日韓国人襲撃され陸英修夫人殺害された際(文世光事件)には「日本赤化工作基地となっている」と怒り露わにした。

※この「朴正煕」の解説は、「知日派」の解説の一部です。
「朴正煕」を含む「知日派」の記事については、「知日派」の概要を参照ください。

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