仁海とは? わかりやすく解説

にんがい【仁海】

読み方:にんがい

951〜1046]平安中期真言宗の僧和泉(いずみ)の人。小野流始祖通称小野僧正雨僧正高野山修行し京都醍醐寺元杲(げんごう)に師事小野曼荼羅(まんだら)寺(のちの随心院)を開創東大寺別当東寺長者に任ぜられる。雨ごい修法知られる。著「小野六帖」「伝受集」など。にんかい


にんがい 【仁海】

平安中期真言宗僧。和泉大阪府)の人。千心・小野僧正高野山醍醐寺学び小野曼荼羅寺建立祈雨法効験示し雨僧正といわれた。その法流小野流という。(九五一~一〇四六

仁海

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/14 08:06 UTC 版)

仁海(にんがい、天暦5年(951年) - 永承元年5月16日1046年6月22日))は、平安時代中期の真言宗。父は宮道惟平。和泉国の出身。小野僧正・雨僧正・雨海僧正とも称される。真言宗小野流の祖。

略歴

高野山雅真(がしん)に師事して得度し、その後石山寺元杲(がんごう)に灌頂を受けた。弘法大師(空海)より8代目の弟子にあたる[1]991年正暦2年)山科小野に牛皮山曼荼羅寺(後の随心院)を建立し[1]小野流を開いた。1018年寛仁2年)祈雨法を修して霊験を現したことにより権律師に任じられた。宮中の帰依を受け、神泉苑(京都御池大宮西)に請雨の法(祈雨法)を修すること9回、その度に霊験があり雨が降ったので、雨僧正とも呼ばれた[1]。その名声は中国まで伝わった。この間、東大寺別当東寺長者法務を歴任し僧正に至った。晩年には輦車の宣旨を賜っている。

真言宗各派で読誦する「胎蔵界礼懺」の撰者である。

脚注

出典

  1. ^ a b c 随心院の歴史”. 随心院. 2020年1月7日閲覧。[リンク切れ]



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