東寺長者補任
主名称: | 東寺長者補任 |
指定番号: | 14 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1976.06.05(昭和51.06.05) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 古文書 |
ト書: | 紙背正応延慶年間文書 |
員数: | 3巻 |
時代区分: | 鎌倉 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 東寺長者補任は東寺(教王護国寺)歴代の長者の任命次第とその僧歴を記したものである。本文料紙は鎌倉時代の書状類を継ぎ立ててその紙背を用いたもので、弘仁五年(八一四)條より正和三年(一三一四)條首までを存しているが、巻中にしばしば欠出部分があるのが惜しまれる。本文の体裁は年別にその年の長者名を掲げて尻付註記があり、その稠密な記事は僧伝史料としても注目され、行間等に書き込まれた註記のあり方は従来の略本と広本との関係を考える上で興味深い。本巻は延慶年間をほど遠からぬ頃の成立と考えられ、鎌倉時代の伝存稀な古鈔本として貴重である。 |
古文書: | 東妙寺并妙法寺境内絵図 東寺文書 東寺観智院伝来文書典籍類 東寺長者補任 東山天皇宸翰徽号勅書 東慶寺文書 東福寺修正看経榜 |
東寺長者
(東寺長者補任 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 01:52 UTC 版)
東寺長者(とうじちょうじゃ)は、東寺(教王護国寺)の管理者・長官である僧侶の呼称。東寺真言宗の長であると共に、真言宗の最高位としての権威を兼ね備えた。正式には単に長者(ちょうじゃ)と呼ばれているが、氏長者と紛らわしいために「東寺長者」と呼ばれることが多い。厳密な意味での初代長者は、承和3年(836年)5月に補任された実恵である。ただし、後世の寺伝では、東寺別当だった弘法大師空海を第1世長者と数える場合が多い。はじめは定員1名だったが、順次増員されて最終的に安和2年(969年)に定員4名となり、その中での筆頭は特に一長者(いちのちょうじゃ[1])または一阿闍梨と呼ばれた。また、一長者は律令制における全仏教界の上首である法務(正法務)も兼任する慣例だった。
東寺長者補任
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東寺長者補任(とうじちょうじゃぶにん)とは、東寺長者次第(とうじちょうじゃしだい)とも呼ばれ、東寺の歴代の長者人事について記録した文書のこと。 古くは11世紀半ばに仁海によって書かれた『仁海僧正自筆長者次第』などがあったといわれているが、現存最古のものとしては37代長者寛信が20年の歳月をかけて久安元年(1145年)に完成した『東寺長者補任』2巻がある。これには空海以来の歴代長者の任命日・俗姓・師資・年譜などが人別に記載されている。続いて寛元元年(1243年)頃に55代厳海までの師資・称号・俗姓・仁限・忌日などを記した選者不明の『東寺長者并高野検校等次第』1巻が著された。その後、延文/正平年間(1360年)頃に杲宝によって『東寺長者補任』5巻を撰した。これには東寺の歴史、歴代長者の師資・称号・俗姓・仁限・忌日・年譜などが詳細に記載されて長く東寺の基本史料とされたのみならず、杲宝の原本に増補が加えられて300年後の寛永11年(1635年)の分まで加えられた。その一方で杲宝の原本が余りにも膨大になってしまったために簡便な抄本版と言える貞治6年/正平22年(1367年)までの『東寺長者補任』1巻も作成された。
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