五斗米道とは? わかりやすく解説

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ごとべい‐どう〔‐ダウ〕【五斗米道】

読み方:ごとべいどう

中国後漢末起こった初期道教宗教結社2世紀後半張陵老子から呪法授かった称して創始。自ら天師称し祈祷(きとう)によって病気治し謝礼として米5斗を納めさせた。孫の張魯(ちょうろ)に至って教説大成組織確立し一大宗教王国築いたが、魏の曹操征伐受けて弱体化した天師道


五斗米道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/18 22:57 UTC 版)

五斗米道(ごとべいどう)は、通説では後漢末に太平道に少し遅れて、張陵(張道陵とも)が、蜀郡成都近郊の鶴鳴山(あるいは鵠鳴山とも、現在の四川省成都市大邑県)で『老子道徳経』を基本にして起こした道教教団。2代目の張衡の死後、蜀郡では巴郡の巫である張脩中国語版鬼道教団が活発化した、益州劉焉の命で、3代目の張魯とともに漢中太守蘇固中国語版を攻め滅ぼしたが、後に張魯が張脩を殺害してそれを乗っ取り、漢中で勢力を固めた。




「五斗米道」の続きの解説一覧

五斗米道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 23:00 UTC 版)

三国志 (北方謙三)」の記事における「五斗米道」の解説

張魯ちょうろ道教教団「五斗米道」の教祖として漢中割拠安住の地を持つ現在に満足し張衛拡大志向には消極的である。 張衛ちょうえい張魯の弟で、五斗米道軍を率いる。宗教にはあまり帰依しておらず、教義利用し益州王道楽土を築く野心を抱く。しかしその野心較べ行動伴わない甘さがあり、いつまでも夢を捨てきれずに現実立場乖離していく。蜀が魏五十大軍撤退させたという事実に感銘を受け、義勇軍率い叛乱起こすが、既に乱世終わった世界ではただの賊徒としか見なされなかった。最終的に呉の陸遜頼ろうとするも朱桓軍勢により討ち取られるという悲壮な最後遂げる。 鮮広せんこう本作独自の人物。張兄弟叔父。五斗米道からは一歩身を引いた立場張衛助言する

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五斗米道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/03 15:00 UTC 版)

道教の歴史」の記事における「五斗米道」の解説

詳細は「五斗米道」を参照 太平道よりやや遅れて、蜀で張陵によって五斗米道(天師道)が組織された。五斗米道も、道徳的反省行い鬼神祟り避けて病を癒す「思過」を説くなど、太平道似通った性質宗教集団であった。ただ、五斗米道では教説がより具体的になっており、『老子五千文』の学習求められたほか、罪を反省するとしての「静室」の整備、罪に服する書を山神地神水神奉納すること、春夏の殺生禁止などが行われた。 五斗米道の組織は「治」を単位とし、最高指導者である「天師」のもと、それぞれの治は「治官」が統率した。これらは当時官吏制度模範作られており、厳密な組織体系になっている新たに入信した信者は「鬼卒」と呼ばれ中堅幹部になると「祭酒」として信徒統率した。祭酒は「義舎」を設けて米や肉を通行人供与するなどの活動行った。五斗米道は強固な教団組織のもと、政治上手く折り合いをつけて徐々に発展し3代目張魯の頃には蜀から中原にまで広まっていた。魏の曹操は蜀を滅ぼした後、張魯一族厚遇し信者数万戸黄河渭水流域移住させ、この地で五斗米道は大きく広がった。 『老子想爾注(中国語版)』は五斗米道の祭酒による『老子』の解釈書とされ、ここには信徒熱心に道を治め各自がその地位安住することによって国が治まり、平和が訪れると説くまた、熱心に修練すればだれでも仙人になることができると強調している。

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五斗米道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 06:12 UTC 版)

蒼天航路」の記事における「五斗米道」の解説

張魯ちょう ろ、字・公祺) 五斗米道の教祖漢中において、宗教という規則のもとに、人民すべてが平等に住まう小さな国造りを行う。曹操降伏後、五斗米道を漢の国教とすることを進言するも、30余年漢中統治した才覚のみを評価され、五斗米道の解体命令下されてしまう。「国が滅びても民が求め限り信仰生き続ける」という曹操言葉から、この世永遠に留まれるものはないことを悟り一瞬にして老けこむ。その翌年死去

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