ロズウェル基地とフォートワース基地の目撃者たち
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/08 09:40 UTC 版)
「ロズウェル事件の目撃談」の記事における「ロズウェル基地とフォートワース基地の目撃者たち」の解説
ロバート・ポーター軍曹Sgt. Robert Porter: B-29の航空技師。ポーターはロズウェルからフォートワースへのB-29の飛行で積み込みを助け飛行機にも乗っていた。この飛行中の、続けてオハイオ州ライト基地に行く前に、マーセルはある程度の回収された物体をロジャー・レイミー准将Gen. Roger Rameyに見せたと思われている。「私は物体をB-29に積み込むのに関与した。それは包装紙で梱包の中に包まれていた。欠片の一つは三角形で、底部の差し渡しで約2.5フィートあった。残りはおよそ靴箱の大きさの小さな梱包の中にあった。茶色の紙がテープで留められていた…。物体は極めて軽かった。私がそれを持ち上げたとき、それは空の梱包を持ち上げるかのようだった。我々は三角形の形状の梱包と三つの靴箱サイズの梱包を飛行機へと積み込んだ。全ての梱包は車のトランクへと収まっただろう」(p.165)。 ロバート・シャーキー中尉1st Lt. Robert Shirkey: 基地作戦補佐官。シャーキーも残骸がB-29へと積み込まれていくのを目撃した。「…搭乗列から3フィートだけのところに立って、我々はアルミニウムに見える金属片でいっぱいの箱がB-29へと運ばれるのを見た。マーセル少佐は屑金属と思われるものでいっぱいの開いた箱を運んで現れた。それは明らかにアルミニウムでなかった: それは輝き方も反射の仕方もアメリカ軍飛行機のアルミニウムのようではなかった。マーセル少佐によって運ばれた箱の一つの角から突き出たものは小さな「Iビーム」であり、その内部フランジに、ある種の風変わりな、黒でもなく、紫でもないが、その二つにおおよそ近い色のついた、象形文字に似た模様があった。…民間人の服装をした一人の男…が彼の左腕の下に金属の欠片を抱えて運んでいた…。この欠片はポスター画板とおよそ同じ大きさだった―非常に滑らかで、ほとんどガラスのようで、ふちが裂かれていた」(p.72-73)。 ロバート・スミス軍曹Sgt. Robert Smith: ロズウェル第一空輸部隊。「ロズウェル事件における私の関与は航空機へと残骸の箱を積むのを手伝ったことだった…。我々は箱を積むためにその格納庫へと連れて行かれた。格納庫の床にはたくさんの農場の泥があった…。我々は3機か4機のC-54へと箱を積んだ…。一つの箱は飛行機全体を占めた; それはそんなに重かったのではないが、容積が大きかった…。私が見たものの全ては物体の小さな破片だった。私が見た残骸の破片は2~3インチ四方だった。それはぎざぎざだった。それはしわくちゃにしても、元通りに広がった; しわくちゃにしたとき、それはセロファンのようにパリパリと音を立て、それが広がったときもパリパリと鳴った。皺はつかなかった…。最大の欠片はだいたい長さ20フィート; 高さ4~5フィート、幅4~5フィートだった。残りは長さ2~3フィート、2フィート四方あるいはもっと小さかった。物体の欠片を持っていた軍曹はそれは箱の中の物体だと言った…。 二人の目撃者がレイミーのオフィスへと連れて来られ彼らが見たロズウェルから来た残骸について話した。 J・ボンド・ジョンソンJ. Bond Johnson: 「フォートワース・スターテレグラムFort Worth Star-Telegram 」紙の記者/写真家は、レイミーのオフィスで、レイミー、デュボーズ、およびマーセルが一緒にポーズを取る、残骸の写真を6枚撮った。彼はこう言った: 「それは印象的な光景ではなかった。単にある程度のアルミニウムに似た箔、バルサ材の棒、およびオフィスに悪臭を放っていたある程度の燃えたゴムがあっただけだった」。ジョンソンによると、レイミーは彼に「我々は見つけた…それは気象観測用気球だ」と語った(p.72)。 アーヴィング・ニュートン准尉Warrant Officer Irving Newton: フォートワースの気象予報士。彼はレイミー准将のために連れて来られ、公式の気象観測用気球という確認を作ったという当時の話で特定された。元々の証言では、ニュートンは彼がレイミーのオフィスへ行ったときに「彼は、ある物体がロズウェルで少佐によって見つけられ、准将はそれが本当は気象観測用気球であると決め、彼にそのとおりに確認するよう求めた、…という大佐による簡潔な説明を受けた」ことを示唆した。ニュートンによると、「私に示されたものが気球の一部であったことは疑いない。私は後にロズウェルからきた少佐がその物体を空飛ぶ円盤として認定したが、准将はこの認定に最初から疑いを持っていたと話された…」(p.36)。後の空軍への宣誓供述書の中で、彼はこう言った。「私は当時これが[凧]を持つ気球であると確信していたし、残りもそう確信させた…。棒の上にはラベンダーかピンクの色の絵柄があり、風化で褪せたまったく意味をなさない模様のように見えた」(Attachment 30)。気球の残骸と一緒に写るニュートンの写真も知られていない写真家によって撮られた。(フロックはアメリカ空軍のチャールズ・B・カッションCharles B. Cashonが写真家だと突き止めた)。
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