ロシアの毛皮貿易
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ロシアは中世のノヴゴロド公国の時代から毛皮貿易が盛んであり、ヨーロッパにビーバーやテンの毛皮を輸出していた。ロシアは16世紀にシベリア、17世紀後半にアムール川流域に進出して、ロシア、モンゴル人、漢人の毛皮貿易が盛んになった。ネルチンスク条約では朝貢形式での貿易、ブーラ条約やキャフタ条約では民間の貿易が認められる。ロシアや清ではクロテンの毛皮が珍重されて、清はロシアにとって最大の毛皮輸出先となるが、18世紀にはシベリアの毛皮資源が減少してロシア商人はアリューシャン列島やアラスカへ行き、ラッコやオットセイの毛皮をオホーツク、ヤクーツク、イルクーツクへ運んだ。イルクーツクの商人グリゴリー・シェリホフは、太平洋を横断して、アラスカや北アメリカの西海岸で毛皮を収集した。勅許会社の露米会社が設立されると毛皮貿易を独占して、支配人のアレクサンドル・バラノフはロシア領アメリカの初代総督にもなった。 清とロシアの間ではキャフタ条約が結ばれ、国境に近いキャフタではロシアの毛皮と清の茶が取り引きされた。ヨーロッパ向けの毛皮輸出が減少を続けていたため、ロシアにとって清は重要な輸出先となったが、清は貿易の拡大には積極的ではないため、しばしば中断した。
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ロシアの毛皮貿易
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アメリカ大陸の植民地化以前、ロシアは西ヨーロッパやアジアの一部に向けた毛皮、生皮の主要な供給者だった。毛皮は中世初期からまずバルト海や黒海を通じて発展した貿易の中で、ロシアの主要輸出品だった。鉄道の発展と共にドイツのライプツィヒのような都市を通じて貿易を行った。 当初ロシアではノヴゴロド共和国の商人がロシア北方や東方の民族と交易し、主としてテン、ビーバー、オオカミ、キツネ、リスおよび野ウサギの生皮を手に入れ西欧へ輸出した。16世紀から18世紀に掛けて、ロシア人はコサックを先頭に、毛皮動物の産地であり多くの動物種が豊富な地域であるシベリアを目指してウラル山脈を越え、オビ川、エニセイ川、レナ川水系と大河を伝って太平洋や北極海にまで進出した。ロシア帝国はシベリア全域を管理し、北極キツネ、大山猫、クロテン、ラッコおよびオコジョ(アーミン)を手に入れた。さらに珍重されるラッコ(その生皮は中国でまず使われた)や後にはキタオットセイを求めて、ロシア帝国は千島列島、アリューシャン列島、北アメリカ、特にアラスカに進出し露米会社を設立した。17世紀から19世紀後半にかけては、ロシアが世界最大の毛皮供給国だった。毛皮貿易はシベリアの開発、ロシア領極東、さらにはアメリカ大陸の植民地化において重要な役割を果たした。この頃には、クロテンがウラル(英語版)のスヴェルドロフスク州、シペリアのノヴォシビルスク州、チュメニ州およびイルクーツク州各州で地域の象徴となった。 ヨーロッパ人が北アメリカを発見し、その広大な森林と野生動物、特に豊富なビーバーの毛皮を手に入れたことで、17世紀には北アメリカがヨーロッパでの獣毛フェルトや毛皮縁飾りや衣類のために使われる生皮の主要供給元になった。毛皮は暖かい衣類を製造するための主要な産品であり、石炭が流通し暖房が普及する以前は特に重要だった。 ロシアでは毛皮では高級品として珍重され、国の専売品であった。一時期、国の収入の1/3を毛皮が占めたこともあった。
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