ルイ12世とは? わかりやすく解説

ルイ12世 (フランス王)

(ルイ12世 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/17 07:16 UTC 版)

ルイ12世
Louis XII
フランス国王
在位 1498年4月7日 - 1515年1月1日
戴冠式 1498年5月27日
別号 ミラノ公

出生 1462年6月27日
フランス王国ブロワ城
死去 1515年1月1日(52歳没)
フランス王国パリ
埋葬 フランス王国サン・ドニ大聖堂
配偶者 ジャンヌ・ド・フランス
  アンヌ・ド・ブルターニュ
  メアリー・テューダー
子女 クロード
ルネ
家名 ヴァロワ=オルレアン家
王朝 ヴァロワ朝
父親 オルレアン公シャルル
母親 マリー・ド・クレーヴ
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ルイ12世フランス語: Louis XII, 1462年6月27日 - 1515年1月1日[1])は、ヴァロワ朝第8代のフランス(在位:1498年 - 1515年)。シャルル6世の弟ルイ・ドルレアンの孫[2]

生涯

シャルル5世の孫であったオルレアン公シャルルと3番目の妃マリー・ド・クレーヴの息子として、ブロワ城で生まれる。アジャンクールの戦いの後にイングランド王国で25年間もの虜囚生活を過ごした[2]オルレアン公シャルルが67歳にして得た唯一の男子であった。1465年、ルイが2歳の時に父シャルルは薨去し、ルイは幼くしてオルレアン公位を継いだ。

1476年、ルイ11世の娘ジャンヌと王命により結婚した[2]。後にアンヌ・ド・ボージューの摂政政府に対する反乱(公益同盟戦争英語版)に加担し、1488年からサン=トーバン=デュ=コルミエ英語版で投獄されたが、1491年にシャルル8世により釈放された[2]。1494年に勃発した第一次イタリア戦争では国王軍の後衛を指揮、ジェノヴァを占領した後もイタリア北部に留まってミラノ公国を窺った[2]。このときにはすでにミラノ公国の請求を考えていたという[2]。シャルル8世の息子が夭折したため、ルイ12世は王位継承者になり[2]、1498年に即位した。

ルイ12世はブルターニュに対する野心から、時のローマ教皇アレクサンデル6世に頼み込んでジャンヌとの結婚を無効にしてもらい、シャルル8世の王妃で王太后となっていたブルターニュ女公アンヌと結婚した。2人は2女をもうけ、長女クロードは王位継承者フランソワ1世の、次女ルネフェラーラ公エルコレ2世の妃となった。

イタリア戦争も再開し、シャルル8世によるナポリ王国への主張以外にも祖父のルイ・ドルレアンがヴァランティーヌ・ヴィスコンティと結婚していたためミラノ公国も主張した[2]。彼はイタリアに親征したが[2]、ナポリ王家の同族であったアラゴン王フェルナンド2世によって間もなくフランス軍は南イタリアから武力で追放される。またフランスのイタリア介入を嫌う教皇は各国に呼びかけて神聖同盟を結成、1513年にフランス軍はミラノから追い出された。

1514年1月に王妃アンヌが薨去すると、ルイ12世はイングランドを対仏同盟から脱落させるためにイングランド王ヘンリー8世の妹メアリー・テューダーと結婚したが、1515年1月1日に崩御した[2]

男子がいなかったため、王位は従甥のアングレーム伯フランソワが継承した。ルイ12世は野心を持って娘クロードと結婚した娘婿フランソワを最後まで警戒していたという。

評価

ブリタニカ百科事典第11版』では、病弱で知力が平凡であり、気が弱かったため王妃アンヌと寵臣のジョルジュ・ダンボワーズ英語版枢機卿に支配されたと酷評している[2]

系図

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
シャルル5世3
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
シャルル6世4
 
 
 
 
 
ルイ
(オルレアン公)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
シャルル7世5
 
 
 
 
 
シャルル
(オルレアン公)
 
ジャン
(アングレーム伯)
 
ジャン・ド・デュノワ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ルイ11世6
 
 
 
 
 
 
ルイ12世8
 
シャルル
(アングレーム伯)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
シャルル8世7
 
ジャンヌ
 
 
クロード
 
フランソワ1世9
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
アンリ2世10
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

ルイ12世を扱った作品

脚注

  1. ^ Louis XII king of France Encyclopædia Britannica
  2. ^ a b c d e f g h i j k Chisholm, Hugh, ed. (1911). "Louis XII. of France" . Encyclopædia Britannica (英語) (11th ed.). Cambridge University Press.
先代
シャルル8世
フランス国王
1498年 - 1515年
次代
フランソワ1世
先代
ルドヴィーコ・スフォルツァ
ミラノ公
1499年 - 1512年
次代
マッシミリアーノ・スフォルツァ
先代
シャルル1世
オルレアン公
ブロワ伯
1465年 - 1498年
次代
王位に統合

ルイ12世(1498年 - 1515年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/22 17:22 UTC 版)

フランス元帥」の記事における「ルイ12世(1498年 - 1515年)」の解説

ジャン・ジャコモ・トリヴルツィオ(Gian Giacomo Trivulzio)(1448年 - 1518年)、ヴィジェーヴァノ侯。授与年:1499年 シャルル2世・ダンボワーズ・ド・ショーモン(Charles II d'Amboise de Chaumont)(1473年 - 1511年)、ショーモンメイヤン(Meillan)およびシャラントン(Charenton)領主授与年:1506年 オデ・ド・フォア・ド・ロートレック(Odet de Foix de Lautrec)(1485年 - 1528年)、グライー家ロートレック子爵授与年:1511年 ロバート・ステュワートRobert Stuart d'Aubigny)(1470年 - 1544年)、オービニー領主授与年:1514年

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ルイ12世

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/27 03:17 UTC 版)

ブロワ城」の記事における「ルイ12世」の解説

中世ブロワ城はルイ12世の居城であり、王国政治的首都であった1500年代初めに、王は城の再建ルネサンス様式庭園作成取りかかった(庭は1890年ヴィクトル・ユゴー通り建設によって取り壊された)。ルイ12世の翼は赤いレンガ灰色の石で造られ、城への主要な入口となっている。特徴は、入口上部の王の騎馬像である。小尖塔天窓などに見られるように主な建築様式ゴシックだが、小さなシャンデリアなどルネサンス建築要素もある。

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