トラスタマラ家
トラスタマラ家(1479年 - 1504年)
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「スペインの国章」の記事における「トラスタマラ家(1479年 - 1504年)」の解説
1479年、アラゴンとカスティーリャの合併によってスペイン王国が誕生し、カトリック両王(イサベル1世、フェルナンド2世)が共同で統治を行った。この2人の紋章の特徴は以下の通りである。 盾の左上と右下はカスティーリャとレオンの国章を組み合わせたもの。 右上と左下はアラゴンとシチリアの国章を組み合わせたもの。 盾の上には王冠が載せられ、ヨハネの鷲の胸の位置に置かれている。 盾の下部のザクロは、1492年のグラナダ奪還後に付け加えられた。 フェルナンド2世はしばしば違うデザインの紋章を用いた。そのデザインはティアスト・パー・ペイルの形式で左からカスティリャとレオンの国章、アラゴンとナポリとシチリアの国章、アラゴンの国章の順で組み合わせたものである。ナバラの併合後、フェルナンド2世の出身地であるレイ・カトリコの紋章の右上は、パー・ペイルの形式で左側にはアラゴンとナバラの国章、右上にはエルサレムとハンガリーの国章をそれぞれパー・フェスの形式で組み合わせたものに変更された。 ナバラで1700年頃まで用いられた紋章はクォータリーの形式で以下のような紋章が入っていた。 左上と右下はさらに領域を4分割してカスティリャとナバラの国章を互い違いに組み合わせたもの。 右上はパー・ペイルの形式で左側はハンガリーとアラゴンの紋章をさらにパー・ペイルで並べたもの、右側はエルサレムの紋章。 左下はパー・ペイルの形式で左側はハンガリーとアラゴンの紋章をさらにパー・ペイルで並べたもの、右側はシチリアの国章。 下部にグラナダの国章。 アラゴンではカスティリャとレオンとアラゴンの紋章が組み合わさったものか、シチリア、アラゴン、ハンガリー、ナポリとエルサレムの紋章が組み合わされたものが紋章として使われた。ナポリでは、クォータリーの形式で左上と右下がカスティリャとレオンの組み合わせ、右上がアラゴンとエルサレムとハンガリーの組み合わせ、左下がアラゴンとシチリアの組み合わせになったものが紋章として使われた。
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トラスタマラ家(1412年から1516年)
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「バルセロナ伯」の記事における「トラスタマラ家(1412年から1516年)」の解説
マルティー1世の死により、ギフレ多毛伯以来男系で世襲されてきたバルセロナ伯家が断絶した。カスペの妥協に至った2年後、カスティーリャ王家であるトラスタマラ家からフェラン1世を迎えた。フェランの母エリオノールがペラ4世の娘であり、最近親の男子であったためである。 名肖像治世説明フェラン1世(Ferran I)アンテケラ王 el d'Antequera 1412年 - 1416年 カスティーリャ王フアン1世と王妃エリオノール・ダラゴーの子 アルフォンス4世寛大王 el Magnànim 1416年 - 1458年 フェラン1世の子 ジュアン2世(Joan II) 1458年 - 1479年 フェラン1世の子。最初の王妃であるナバラ女王ブランカの生んだ王子、ビアナ公カルラスとの対立から、国王派とビアナ公派に分かれて争うカタルーニャ内戦が起きた。 フェラン2世(Ferran II)カトリック王 el Catòlic 1479年 - 1516年 ジュアン2世の子。カスティーリャ女王イサベルと1469年に結婚。 ジュアン2世の保持していたアラゴン王とバルセロナ伯の称号は、カタルーニャ内戦(1462年 - 1472年)の間、アラゴン王家の血を引く以下の人物たちによって争われた(バレンシア王の称号は含まれていない):エンリック4世 1462年 - 1463年 フアン2世と王妃マリア・ダラゴー・イ・アルブルケルケ(フェラン1世王女)の子。 ペラ4世 1463年 - 1466年 アヴィシュ家のコインブラ公ペドロとウルジェイ女伯エリサベの子。 レナト1世(Renaut I) 1466年 - 1472年 アンジュー公ルイ2世とビオラン・ダラゴー(ジュアン1世王女)の子。
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トラスタマラ家
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肖像名前生没年付記 エンリケ1388年 - 1390年 1379年10月4日 - 1406年12月25日 カスティーリャ王フアン1世の長男。後のカスティーリャ王エンリケ3世。 マリア1402年 - 1405年 1401年9月1日 - 1458年10月4日 エンリケ3世の長女。後のアラゴン王妃。 フアン1405年 - 1406年 1405年3月6日 - 1454年7月20日 マリアの弟。後のカスティーリャ王フアン2世。 カタリーナ1423年 - 1424年 1422年10月5日 - 1424年9月17日 フアン2世の長女。 レオノール1424年 - 1425年 1423年9月10日 - 1425年8月22日 カタリナの妹。 エンリケ1425年 - 1454年 1425年1月25日 - 1474年12月11日 レオノールの弟。後のカスティーリャ王エンリケ4世。 フアナ1462年 - 1464年 1462年2月21日 - 1530年2月12日 エンリケ4世の娘。 アルフォンソ1464年 - 1468年 1453年11月17日 - 1468年7月5日 フアナの叔父。後のカスティーリャ対立王アルフォンソ12世。 イサベル1468年 - 1470年 1451年4月22日 - 1504年11月26日 アルフォンソの姉。後のカスティーリャ女王イサベル1世。 フアナ1470年 - 1475年(再承) 1462年2月21日 - 1530年2月12日 イサベル1世の姪。後のポルトガル王妃。 イサベル1476年 - 1480年 1470年10月2日 - 1498年8月23日 フアナの従妹。イサベル1世の長女。 フアン1480年 - 1497年 1478年6月28日 - 1497年10月4日 イサベルの弟。 イサベル1497年 - 1498年(再承) 1470年10月2日 - 1498年8月23日 フアンの姉。ポルトガル王妃。
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トラスタマラ家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/14 08:46 UTC 版)
肖像名前生没年付記 フアナ1502年 - 1504年 1479年11月6日 - 1555年4月12日 ミゲルの叔母。後のカスティーリャ・アラゴン女王フアナ1世。
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トラスタマラ家
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「カスティーリャ君主一覧」の記事における「トラスタマラ家」の解説
アルフォンソ11世の庶子であるエンリケ2世に始まり、トラスタマラ公を創立する。 君主肖像画綽名統治の開始統治の終了備考エンリケ2世 庶子王 1369年3月23日 1379年5月29日 1366年から王位を請求 フアン1世 1379年5月29日 1390年10月9日 エンリケ3世 病弱王 1390年10月9日 1406年12月25日 フアン2世 1406年12月25日 1454年7月21日 エンリケ4世 無能王 1454年7月21日 1474年12月11日 イサベル1世 カトリック女王 1474年12月11日 1504年11月26日 夫のアラゴン国王 フェルナンド2世と共同統治 フェルナンド5世 カトリック王 1475年1月15日 1504年11月26日 en:jure uxoris 王、妻のイサベル1世と共同統治 フアナ 狂女王 1504年11月26日 1555年4月12日 名目上時は夫のフェリペ1世が代行(1504年–1506年)。幽閉時はフランシスコ・ヒメネス・デ・シスネロスが摂政として代行 (1506年–1516年)。幽閉時は息子のカルロス1世が代行 (1516年–1555年)。
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