トラスタマラ家とは? わかりやすく解説

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トラスタマラ家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/19 18:52 UTC 版)

トラスタマラ家スペイン語:Casa de Trastámara)は、イベリア半島を発祥とする王家。14世紀から16世紀にかけて、イベリア半島(カスティーリャ王国アラゴン王国ナバラ王国など)、南イタリアシチリア王国ナポリ王国)を支配した。




「トラスタマラ家」の続きの解説一覧

トラスタマラ家(1479年 - 1504年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/08/12 17:25 UTC 版)

スペインの国章」の記事における「トラスタマラ家(1479年 - 1504年)」の解説

1479年アラゴンカスティーリャ合併によってスペイン王国誕生しカトリック両王イサベル1世フェルナンド2世)が共同統治行った。この2人紋章特徴以下の通りである。 盾の左上右下カスティーリャレオン国章組み合わせたもの。 右上左下アラゴンシチリア国章組み合わせたもの。 盾の上には王冠載せられヨハネの胸の位置置かれている。 盾の下部ザクロは、1492年グラナダ奪還に付け加えられた。 フェルナンド2世はしばしば違うデザイン紋章用いた。そのデザインティアスト・パー・ペイル形式で左からカスティリャレオン国章アラゴンナポリシチリア国章アラゴン国章の順で組み合わせたのであるナバラ併合後、フェルナンド2世出身地であるレイ・カトリコの紋章右上は、パー・ペイルの形式左側にはアラゴンナバラ国章右上にはエルサレムハンガリーの国章それぞれパー・フェスの形式組み合わせたものに変更された。 ナバラ1700年頃まで用いられ紋章クォータリー形式で以下のような紋章入っていた。 左上右下はさらに領域4分割してカスティリャナバラ国章互い違い組み合わせたもの。 右上はパー・ペイルの形式左側ハンガリーアラゴン紋章をさらにパー・ペイルで並べたもの、右側エルサレム紋章左下はパー・ペイルの形式左側ハンガリーアラゴン紋章をさらにパー・ペイルで並べたもの、右側シチリア国章下部グラナダ国章アラゴンではカスティリャレオンアラゴン紋章組み合わさったものか、シチリアアラゴンハンガリーナポリエルサレム紋章組み合わされたものが紋章として使われた。ナポリでは、クォータリー形式左上右下カスティリャレオン組み合わせ右上アラゴンエルサレムハンガリー組み合わせ左下アラゴンシチリア組み合わせになったものが紋章として使われた。

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トラスタマラ家(1412年から1516年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/04 15:37 UTC 版)

バルセロナ伯」の記事における「トラスタマラ家(1412年から1516年)」の解説

マルティー1世死により、ギフレ多毛以来男系世襲されてきたバルセロナ伯家が断絶したカスペの妥協至った2年後カスティーリャ王家であるトラスタマラ家からフェラン1世迎えたフェランの母エリオノールがペラ4世の娘であり、最近親男子であったためである。 名肖像治世説明フェラン1世(Ferran I)アンテケラel d'Antequera 1412年 - 1416年 カスティーリャ王フアン1世王妃エリオノール・ダラゴーの子 アルフォンス4世寛大el Magnànim 1416年 - 1458年 フェラン1世の子 ジュアン2世(Joan II) 1458年 - 1479年 フェラン1世の子最初王妃であるナバラ女王ブランカ生んだ王子ビアナ公カルラスとの対立から、国王派ビアナ公派に分かれて争うカタルーニャ内戦起きたフェラン2世(Ferran II)カトリックel Catòlic 1479年 - 1516年 ジュアン2世の子カスティーリャ女王イサベル1469年結婚ジュアン2世保持していたアラゴン王バルセロナ伯称号は、カタルーニャ内戦1462年 - 1472年)の間、アラゴン王家の血を引く下の人物たちによって争われた(バレンシア王称号含まれていない):エンリック4世 1462年 - 1463年 フアン2世王妃マリア・ダラゴー・イ・アルブルケルケ(フェラン1世王女の子ペラ4世 1463年 - 1466年 アヴィシュ家コインブラ公ペドロウルジェイ女伯エリサベの子レナト1世(Renaut I) 1466年 - 1472年 アンジュー公ルイ2世ビオラン・ダラゴージュアン1世王女の子

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トラスタマラ家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/14 08:46 UTC 版)

アストゥリアス公」の記事における「トラスタマラ家」の解説

肖像前生没年付記 エンリケ1388年 - 1390年 1379年10月4日 - 1406年12月25日 カスティーリャ王フアン1世長男。後のカスティーリャ王エンリケ3世マリア1402年 - 1405年 1401年9月1日 - 1458年10月4日 エンリケ3世長女。後のアラゴン王妃。 フアン1405年 - 1406年 1405年3月6日 - 1454年7月20日 マリアの弟。後のカスティーリャ王フアン2世カタリーナ1423年 - 1424年 1422年10月5日 - 1424年9月17日 フアン2世長女レオノール1424年 - 1425年 1423年9月10日 - 1425年8月22日 カタリナの妹。 エンリケ1425年 - 1454年 1425年1月25日 - 1474年12月11日 レオノールの弟。後のカスティーリャ王エンリケ4世フアナ1462年 - 1464年 1462年2月21日 - 1530年2月12日 エンリケ4世娘。 アルフォンソ1464年 - 1468年 1453年11月17日 - 1468年7月5日 フアナ叔父。後のカスティーリャ対立王アルフォンソ12世イサベル1468年 - 1470年 1451年4月22日 - 1504年11月26日 アルフォンソの姉。後のカスティーリャ女王イサベル1世フアナ1470年 - 1475年(再承) 1462年2月21日 - 1530年2月12日 イサベル1世の姪。後のポルトガル王妃イサベル1476年 - 1480年 1470年10月2日 - 1498年8月23日 フアナ従妹イサベル1世長女フアン1480年 - 1497年 1478年6月28日 - 1497年10月4日 イサベルの弟。 イサベル1497年 - 1498年(再承) 1470年10月2日 - 1498年8月23日 フアンの姉。ポルトガル王妃

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トラスタマラ家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/14 08:46 UTC 版)

アストゥリアス公」の記事における「トラスタマラ家」の解説

肖像前生没年付記 フアナ1502年 - 1504年 1479年11月6日 - 1555年4月12日 ミゲル叔母。後のカスティーリャ・アラゴン女王フアナ1世

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トラスタマラ家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/30 05:35 UTC 版)

カスティーリャ君主一覧」の記事における「トラスタマラ家」の解説

アルフォンソ11世庶子であるエンリケ2世始まりトラスタマラ公を創立する君主肖像画綽名統治の開始統治の終了備考エンリケ2世 庶子1369年3月23日 1379年5月29日 1366年から王位請求 フアン1世 1379年5月29日 1390年10月9日 エンリケ3世 病弱1390年10月9日 1406年12月25日 フアン2世 1406年12月25日 1454年7月21日 エンリケ4世 無能1454年7月21日 1474年12月11日 イサベル1世 カトリック女王 1474年12月11日 1504年11月26日 夫のアラゴン国王 フェルナンド2世共同統治 フェルナンド5世 カトリック1475年1月15日 1504年11月26日 en:jure uxoris 王、妻のイサベル1世共同統治 フアナ 狂女1504年11月26日 1555年4月12日 名目上時は夫のフェリペ1世代行(1504年1506年)。幽閉時はフランシスコ・ヒメネス・デ・シスネロス摂政として代行 (1506年1516年)。幽閉時は息子カルロス1世代行 (1516年1555年)。

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