トラスタマラ朝への交替
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/04 17:17 UTC 版)
「ブルゴーニュ朝 (カスティーリャ)」の記事における「トラスタマラ朝への交替」の解説
フェルナンド3世の息子アルフォンソ10世はローマ法に基づく『七部法典』を編纂させるなど文化事業を発展させた。また、自らが神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世(赤髭王)の曾孫であることから皇帝即位に野心を燃やしたが、これには失敗して国を疲弊させるだけに終わり、息子サンチョ4世によって廃位、幽閉され死去した。レコンキスタは一時期停滞するが、サンチョ4世の孫アルフォンソ11世の時代に活発化し、遂にはジブラルタル海峡に達した。 1350年にアルフォンソ11世が死去し、嫡子ペドロ1世が王位に就くと、庶子でペドロ1世の異母兄エンリケ・デ・トラスタマラは王位獲得の野心を燃やし、国内は内戦状態に陥る(第一次カスティーリャ継承戦争)。そして1369年にエンリケ・デ・トラスタマラがペドロ1世を倒して、エンリケ2世として即位する。これがトラスタマラ朝の始まりである。
※この「トラスタマラ朝への交替」の解説は、「ブルゴーニュ朝 (カスティーリャ)」の解説の一部です。
「トラスタマラ朝への交替」を含む「ブルゴーニュ朝 (カスティーリャ)」の記事については、「ブルゴーニュ朝 (カスティーリャ)」の概要を参照ください。
- トラスタマラ朝への交替のページへのリンク