ルネ・ダンジューとは? わかりやすく解説

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ルネ・ダンジュー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/17 07:19 UTC 版)

ルネ・ダンジュー(René d'Anjou, 1409年1月16日 - 1480年7月10日)は、中世フランスの王族。王家ヴァロワ家の分家であるヴァロワ=アンジュー家出身で、アンジュールイ2世と、アラゴンフアン1世の娘ヨランド・ダラゴンの次男。兄にアンジュー公ルイ3世、姉にフランス王シャルル7世マリー、弟にメーヌシャルル4世がいる。


  1. ^ 虜囚になっていた期間は諸説あり、1431年 - 1437年の6年間、あるいは1431年 - 1432年、1434年/1435年 - 1436年/1437年の2度に分けた期間とされている。また幽閉中は何枚も絵を描いていたとされ、善良公の父ジャン1世(無怖公)の肖像画を描いて善良公に送ったといわれる。妻は子供達を連れてルネの釈放をシャルル7世に掛け合ったが、同行者アニェス・ソレルに目を付けた母が宮廷の影響力を保つため、シャルル7世の愛人にあてがったという話も伝えられる[1][11][12][13]
  2. ^ 宮廷に仕えた芸術家は宮廷の称号を与えられたが、「部屋付き侍従」に任命されたデックなど芸術家たちは仕事する一方でルネからの注文を受けて制作、領地を転々とするルネについて行く場合もあった。報酬は月極で一定額を受け取るほか、臨時報酬・年金も受け取っていた。雇われた芸術家は画家のデックのほか金細工師、刺繍家、タペストリー職人がいた[37]
  3. ^ サン=ミシェル上部礼拝堂は詩人フレデリック・ミストラルが作品『ミレイオフランス語版』にて舞台にした建物で、ミストラルは遺骨発見に言及してルネへの称賛を書いている。またヨハン・ホイジンガは著書『中世の秋』で『ルニョーとジャンヌトン』を評して「ただ、もうなんというか、対象のひとつひとつを、やさしい気持で、緒に通していったというかんじなのである、さえずる鳥を一羽また一羽と、昆虫を、かえるを、続いて、畑を耕す農民を」と述べている[44]
  1. ^ a b c d 田中久美子 2009, p. 248.
  2. ^ ジュール・ミシュレ & 桐村泰次 2017, p. 26.
  3. ^ レジーヌ・ペルヌー, マリ=ヴェロニック・クラン & 福本直之 1992, p. 311-312.
  4. ^ 三角美次 2000, p. 159.
  5. ^ ジュール・ミシュレ & 桐村泰次 2017, p. 24-26.
  6. ^ ジャン=ポール・エチュヴェリー & 大谷暢順 1991, p. 177.
  7. ^ レジーヌ・ペルヌー, マリ=ヴェロニック・クラン & 福本直之 1992, p. 50-51,312.
  8. ^ 清水正晴 1996, p. 80-81.
  9. ^ 清水正晴 1996, p. 116,124-125,132.
  10. ^ ジュール・ミシュレ & 桐村泰次 2017, p. 30-31.
  11. ^ ジャン=ポール・エチュヴェリー & 大谷暢順 1991, p. 225,234.
  12. ^ 三角美次 2000, p. 159-160.
  13. ^ ジュール・ミシュレ & 桐村泰次 2017, p. 191-192,221-223.
  14. ^ レジーヌ・ペルヌー, マリ=ヴェロニック・クラン & 福本直之 1992, p. 262,268-269,312.
  15. ^ ジュール・ミシュレ & 桐村泰次 2017, p. 198.
  16. ^ 清水正晴 1996, p. 180-184.
  17. ^ 清水正晴 1996, p. 184-186,286-287.
  18. ^ 田中久美子 2009, p. 248-250,255.
  19. ^ 三角美次 2000, p. 160,167-168.
  20. ^ ジュール・ミシュレ & 桐村泰次 2017, p. 256-257.
  21. ^ ジャン=ポール・エチュヴェリー & 大谷暢順 1991, p. 258-259.
  22. ^ レジーヌ・ペルヌー, マリ=ヴェロニック・クラン & 福本直之 1992, p. 272,357.
  23. ^ a b 三角美次 2000, p. 160.
  24. ^ ジュール・ミシュレ & 桐村泰次 2017, p. 238-239,265-267,274.
  25. ^ 三角美次 2000, p. 160-161.
  26. ^ 田辺保 2003, p. 158-159.
  27. ^ 三角美次 2000, p. 161,173.
  28. ^ 三角美次 2000, p. 161-164.
  29. ^ 田辺保 2003, p. 160.
  30. ^ 三角美次 2000, p. 164-168.
  31. ^ 田辺保 2003, p. 144-145,158.
  32. ^ 三角美次 2000, p. 161-162,173.
  33. ^ 田辺保 2003, p. 76-78,231-233.
  34. ^ 三角美次 2000, p. 158-159,161,171,173-175.
  35. ^ 三角美次 2000, p. 166-167,170-171.
  36. ^ 田辺保 2003, p. 157-159.
  37. ^ 田中久美子 2009, p. 243-246.
  38. ^ 三角美次 2000, p. 169-170.
  39. ^ 田中久美子 2009, p. 241-243.
  40. ^ 田中久美子 2009, p. 247-255.
  41. ^ 三角美次 2000, p. 168-169.
  42. ^ 田辺保 2003, p. 160-161.
  43. ^ 田中久美子 2009, p. 246-247.
  44. ^ 三角美次 2000, p. 173.
  45. ^ 三角美次 2000, p. 171-174.


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固有名詞の分類

プロヴァンス伯 ルイ3世・ダンジュー  ルイ2世・ダンジュー  ルネ・ダンジュー  ジョヴァンナ1世・ダンジョ  ジャンヌ・ド・トゥールーズ
カラブリア公 ルイ2世・ダンジュー  アルフォンソ・デ・ボルボーン=ドス・シシリアス  ルネ・ダンジュー  カルロ・ディ・ボルボーネ=ドゥエ・シチリエ  アンドレア・ドゥンゲリア
ヴァロワ=アンジュー家 ルイ3世・ダンジュー  ルイ2世・ダンジュー  ルネ・ダンジュー  シャルル4世・ダンジュー  マーガレット・オブ・アンジュー
アンジュー公 シャルル5世・ダンジュー  ルイ3世・ダンジュー  ルイ2世・ダンジュー  ルネ・ダンジュー  ルイーズ・ド・サヴォワ
ナポリの君主 ルイ3世・ダンジュー  ルイ2世・ダンジュー  ルネ・ダンジュー  ジョヴァンナ1世・ダンジョ  ジョアシャン・ミュラ
ロレーヌ公 ヨランド・ダンジュー  ケルン大司教ブルーノ  ニコル・ド・ロレーヌ  ルネ・ダンジュー  スタニスワフ・レシチニスキ
バル公 ヨランド・ダンジュー  ニコル・ド・ロレーヌ  ルネ・ダンジュー  スタニスワフ・レシチニスキ
バルセロナ伯 ルネ・ダンジュー  ラモン・ベレンゲー4世
アラゴンの君主 ルネ・ダンジュー

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