イングランド‐おうこく〔‐ワウコク〕【イングランド王国】
イングランド王国
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イングランド王国(イングランドおうこく、英: Kingdom of England)は、927年のアングロ=サクソン七王国の一つウェセックス王国の王アゼルスタンのイングランド全土統一から1707年のスコットランド王国との合同まで存在した国家である。ウェセックス王エグバートの825年のイングランド統一から最初のイングランド王と言われることが多いが、実際の称号はブレトワルダ(覇王)であった。
- ^ ウエストミンスター寺院の略歴ウエストミンスター寺院 2020年2月22日閲覧
- 1 イングランド王国とは
- 2 イングランド王国の概要
- 3 歴史
- 4 脚注
イングランド王国
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「コールドストリームガーズ」の記事における「イングランド王国」の解説
1660年、王政復古の宣言がされるとモンク将軍は王党派に転じ、後任のジェネラル・アット・シーであるエドワード・モンタギュー(Edward Montagu/後に初代サンドウィッチ伯爵)に対し、艦隊を率いて国王を亡命先のオランダへ迎えに行くよう指示した。エドワード・モンタギューはこの頃地方に隠遁していたが、ロンドンに残していた執事(当時)のサミュエル・ピープスを通じて議会の動向を把握しており、モンクに従ってイングランド艦隊を掌握し、オランダへ向かった。 ”モンクの歩兵連隊”はスコットランドのコールドストリーム(Coldstream)に駐留していたが、スコットランドへ上陸したチャールズ2世と合流し、ロンドン入城に同行した。そのため、現在でも募兵の際はこの時に通ったイングランド側の沿道地域出身者を優先採用している。また、現部隊名の”コールドストリーム”はこの頃付いたあだ名である。 この年、”モンクの騎馬護衛隊”(Monck's Life Guards)が第2(クィーンズ)近衛騎兵隊(2nd(Queen's) Troop of Horse Guards)となった。この騎兵隊は後に他の近衛騎兵隊と統合されてライフガーズ連隊となる。翌1661年、”モンクの歩兵連隊”も近衛連隊となり、”ロードジェネラルズ近衛歩兵連隊”(The Lord General's Regiment of Foot Guards)となった。また、1664年には”コールドストリーム連隊”の兵士500名が海上勤務に転じ、”デューク・オブ・ヨーク・アンド・アルバニー海上歩兵連隊”(Duke of York and Albany's Maritime Regiment of Foot)が編成された。この連隊はイギリスで初めての艦上勤務を専門とする歩兵部隊であり、イギリス海兵隊の母体となった。 近衛歩兵連隊としては既に、チャールズ2世がウスターの戦い後の1656年にブルッヘで創設した”ロード・ウェントワース近衛歩兵連隊”(Lord Wentworth's Foot Guards/Royal Regiment of Guards)と1660年創立のジョン・ラッセル近衛歩兵連隊(John Russell's Foot Guards)があり、両連隊が1665年に統合されて”近衛歩兵第1連隊”(1st Regiment of Foot Guards)(後のグレナディアガーズ)とされた。しかし、これらの連隊より古い”コールドストリーム連隊”の兵士は、その下位に位置付けられることを認めることが出来なかった。チャールズ2世が”近衛第2連隊”と呼んだところ、”第2”とされることを兵士達が拒否して命令に従わなかったため、モンク将軍の進言に従って”コールドストリーム近衛連隊”と呼んだところ命令に従ったという逸話もある。 モンク将軍が死去した1670年、”近衛歩兵第2連隊”(2nd Regiment of Foot Guards)となったが、”第2”とされる抵抗感から、通称であった”コールドストリーム近衛歩兵連隊”(Coldstream Regiment of Foot Guards)が公式に使われるようになった。そして、この様な経緯から、”Nulli Secundus”(何物の2番目でもない=何物にも劣る事無し)が連隊のモットーとなっている。また、現在でもグレナディアガーズへの対抗意識は強く、イギリス陸軍に於ける連隊序列はグレナディアガーズの次だが、近衛歩兵連隊が整列する際はグレナディアガーズの隣には並ばず、反対側の端に位置する。 イングランド王位に就くためにロッテルダムを出港するチャールズ2世の艦隊。 初代サンドウィッチ伯爵エドワード・モンタギュー。 サミュエル・ピープス
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イングランド王国
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「BLADESTORM 百年戦争」の記事における「イングランド王国」の解説
エドワード黒太子 (声優:石川英郎) イングランド王国王太子。漆黒の鎧をまとって戦う姿から「黒太子」と呼ばれる。気高く高潔な性格であるため、民衆を巻き込む戦争に対して疑問を持っている。だが、自身の優れた軍才を発揮して祖国の勝利と栄光のために戦い続けた。 チャンドスの台詞によると、史実と異なり百年戦争が初陣のようである。 イングランド王 (声優:佐々木誠二) 黒太子の父である関係からエドワード3世であると思われる。強力なカリスマ性によって国を統率した王である。 フィリッパ (声優:斉藤貴美子) イングランド軍の女将軍。女性ながら極めて物々しい甲冑に身を包み最前線に立って数々の戦果を挙げた。騎士や傭兵といった立場にこだわることなく配下と接するため周囲から厚く信頼されている。 史実では黒太子の母であるが、黒太子絡みの描写は無い。また、王妃であるにも関わらず、作中ではベッドフォード公から誘惑されている。 ジョン・チャンドス (en)(声優:辻親八) 百戦錬磨のイングランド軍の将軍。黒太子に忠誠を誓っており、彼を陰ながら支えている。黒太子が戦場で迷いを見せた時、彼を叱咤することもあり、黒太子を正しき方向へ導く教育係のような役目も担っている。 史実でも騎士道的な人物であったとされオーレの戦いでベルトランを捕らえるなどの戦功を上げている。1369年12月31日にポワトゥー近郊で起きた小競り合いで戦死。 ジョン・タルボット(声優:上田陽司) イングランド軍の将軍。無骨な鎧をまとっているように堅実な戦を得意とし防衛戦においては右に出るものがいないほどである。忠誠心と責任感が強く真面目な性格ゆえ、任務に固執して死地に留まってしまう頑固さも見せてしまうこともある。 史実でも百年戦争末期のイングランド側における重要な将軍。シュルーズベリー伯。ヘンリー6世によってフランス軍総司令官に任命されるが、カスティヨンの戦いで戦死。 ジョン・ファストルフ(声優:服部潤) イングランド軍の将軍。天才的な直観力と機転に優れ、臨機応変な立ち回りで数々の武勲を挙げた。軽薄な性格ゆえに真面目なタルボットから不真面目と見られ、衝突することもあるが決して仲が悪いわけではない。 史実ではジェントリ階級出身の兵士であったとされ、百年戦争末期の多くの戦いに従軍したとされる。なおウィリアム・シェークスピア作の史劇『ヘンリー4世』に登場するフォルスタッフの名前は、彼の名前を綴変えしたものとされていることで有名。 ヘンリー・パーシー(声優:竹本英史) イングランド軍の騎士。縦横無尽に戦場を駆け回る姿から「熱き拍車」と呼ばれている。凄腕の戦士でもあり猛獣のような凶暴さを秘めており、戦場では鬼神のような戦いぶりで多くの敵を葬り去った。 史実においても勇猛で知られランカスター朝の成立に活躍した人物であった。後ヘンリー4世から疎まれたため反乱を起こす(パーシーの反乱)がシュルーズベリーの戦い(英語版)で敗死。ウィリアム・シェークスピア作の史劇『ヘンリー4世』ではハル王子との一騎討ちで討ち取られる。 イアマール (声優:安田美和) 黒太子の側近。元は彼の命を狙う暗殺者だったが、彼の心意気に惹かれ、忠誠を誓うようになった。 ハル (声優:草尾毅) 乱暴者の傭兵。実はイングランドの王族なのだが、本人の自覚は薄い。 ハル(ハル王子)という呼び方はウィリアム・シェークスピア作の史劇『ヘンリー4世』におけるヘンリー5世の呼び名。シェークスピアの劇中において、ハルは仲間と暴れ歩く放蕩息子として描かれている。 リチャード・ビーチャム (声優:私市淳) ハルに付き従い振り回される傭兵(実は上級貴族)。 実在の人物で、史実におけるヘンリー4世、ヘンリー5世(ハル)、そしてヘンリー6世の時代に武勲をあげた第13代ウォリック伯であり、百年戦争やパーシーの反乱に従軍。 マーガレット (声優:神田朱未) ウェールズ出身の傭兵。弓の腕に長け、イングランド軍への参入を希望していたが、門前払いを受けて傭兵となる。後に黒太子に認められ、正式にイングランド軍所属となった。
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イングランド王国
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「王位継承法 (曖昧さ回避)」の記事における「イングランド王国」の解説
ヘンリー8世1533年王位継承法 (25 Hen. 8 c.22) - 第一継承法。 1533年にエリザベス1世を嫡子、メアリー1世を庶子と定めた法。 1534年王位継承法(英語版) (26 Hen. 8 c.2) - 第一継承法(1533年王位継承法)の順守の誓いを要求した法。 1536年王位継承法 (28 Hen. 8 c.7) - 第二継承法。1536年、エリザベス1世とメアリー1世の両方を庶子とした法。 1543年王位継承法 (35 Hen. 8 c.1) - 第三継承法。1543年、エリザベス1世とメアリー1世の両方を嫡子とした法。 ジェームズ1世1603年王位継承法(英語版) (1 Jac. 1 c.1) ウィリアム3世1701年王位継承法(12 and 13 Will 3 c. 2) - イングランドの王位継承者をイングランド国教会の信徒に限定した法。
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イングランド王国
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「幻想世界魔法烈伝 WIZバスター」の記事における「イングランド王国」の解説
黒太子(ブラックプリンス) プリンス・オブ・ウェールズ。イングランド王国の皇子で、ドラゴンスレイヤーを持つ。ダゴンが城を襲撃したさいに駆けつけ、戦いの後は城を守るために残った。 ジョン 騎士団の副団長。ヒゲが特徴。当初は忍の力を疑っていたため、カブトと言い争っていた。
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イングランド王国
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「ヴィンランド・サガ」の記事における「イングランド王国」の解説
アングロ・サクソン人の統一王国。9世紀にウェセックス王アルフレッドがそれまでの諸王国を併合してのちは南部のウェセックス地方が王国の中核をなす。首都はウィンチェスター。北部のデーンローを支配するデーン人とは微妙な小康状態を保ってきたが、11世紀初頭のイングランド軍によるデーン人虐殺を機に関係が悪化、その後デーン軍相手に敗北を重ねる。1018年、賢人会議でアングロ・サクソンの王に代わりデンマーク王が推戴され、実質的にデンマーク王国に併合される。
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