リエージュ要塞
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リエージュ要塞は1880年代にフランスの工兵将校アンリ・ブリアルモンによって当時最新の設計思想に基づいて強化されていた。基本設計は、12個の堡塁を中心都市から半径6.5ないし8キロメートルの位置に、平均2キロメートルの間隔をおいて環状に配置するものだった。堡塁は相互に火力による防御支援が可能であり、1個の堡塁が陥落したとしても、隣接する2個の堡塁が間隙を塞ぐことができた。 12個の堡塁は1個おきに6個が大堡塁、6個が小堡塁となっていた。大堡塁は五角形のコンクリート構造物で、6インチ砲2門、4.7インチ砲4門、8インチ臼砲2門、機関銃4丁を装備していた。小堡塁は三角形の形状をしており、6インチ砲2門、4.7インチ砲2門、8インチ臼砲1門、機関銃3丁を有していた。火砲は射撃時以外は掩蓋によって保護されていた。堡塁内部の砲塔、弾薬庫、射撃管制室、兵舎は地下のトンネルによって相互に接続され、堡塁周囲は乾壕と有刺鉄線が取り囲んでいた。要塞全体では火砲は400門に達し、守備兵力はジェラール・ルマン(英語版)中将の指揮するベルギー第3師団ほか30,000名だった。 だが1914年の時点では要塞は旧式化していた。ベルギー軍は火砲の更新をクルップ社へ発注していたところであり、ドイツ軍はそれらの状態について知悉していた。また、ベルギー軍の開戦準備は後手に回り、堡塁間の樹木の伐採や障害物の設置に着手したのは8月2日になってからだった。さらに、占領後のドイツ軍の調査によれば要塞構造物に用いられていたコンクリートは品質不良だった。 ドイツ軍はリエージュ要塞攻略のため、第2軍から歩兵6個旅団、騎兵3個師団を抽出してオットー・フォン・エンミッヒ大将を指揮官とする臨時の「ミューズ軍」を編成した。臨時軍の参謀には第2軍参謀副長のエーリヒ・ルーデンドルフ少将が参加していた。そしてドイツ軍が準備していた決め手はクルップ社製420ミリ榴弾砲(ディッケ・ベルタ)と、オーストリアのシュコダ社製305ミリ臼砲であった。8月4日、ドイツ軍の先頭部隊は国境を越えベルギー領内へ侵入を開始した。
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