リエージュ要塞とは? わかりやすく解説

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リエージュ要塞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 01:18 UTC 版)

リエージュの戦い」の記事における「リエージュ要塞」の解説

リエージュ要塞は1880年代フランス工兵将校アンリ・ブリアルモンによって当時最新設計思想基づいて強化されていた。基本設計は、12個の堡塁中心都市から半径6.5ないし8キロメートル位置に、平均2キロメートル間隔をおいて環状配置するのだった堡塁相互に火力による防御支援が可能であり、1個の堡塁陥落したとしても、隣接する2個の堡塁間隙を塞ぐことができた。 12個の堡塁は1個おきに6個が大堡塁、6個が小堡塁となっていた。大堡塁五角形コンクリート構造物で、6インチ砲2門、4.7インチ砲4門、8インチ臼砲2門、機関銃4丁を装備していた。小堡塁三角形形状をしており、6インチ砲2門、4.7インチ砲2門、8インチ臼砲1門、機関銃3丁を有していた。火砲射撃時以外は掩蓋によって保護されていた。堡塁内部砲塔弾薬庫射撃管制室、兵舎地下トンネルによって相互に接続され堡塁周囲は乾壕と有刺鉄線取り囲んでいた。要塞全体では火砲400門に達し守備兵力はジェラール・ルマン(英語版中将指揮するベルギー第3師団ほか30,000名だった。 だが1914年時点では要塞旧式化していた。ベルギー軍火砲更新クルップ社発注していたところであり、ドイツ軍はそれらの状態について知悉していた。また、ベルギー軍開戦準備後手回り堡塁間の樹木伐採障害物設置着手したのは8月2日になってからだった。さらに、占領後ドイツ軍調査によれば要塞構造物用いられていたコンクリート品質不良だった。 ドイツ軍リエージュ要塞攻略のため、第2軍から歩兵6個旅団騎兵3個師団抽出してオットー・フォン・エンミッヒ大将指揮官とする臨時の「ミューズ軍」を編成した臨時軍の参謀には第2軍参謀副長エーリヒ・ルーデンドルフ少将参加していた。そしてドイツ軍準備していた決め手クルップ社420ミリ榴弾砲ディッケ・ベルタ)と、オーストリアシュコダ社製305ミリ臼砲であった8月4日ドイツ軍先頭部隊は国境越えベルギー領内侵入開始した

※この「リエージュ要塞」の解説は、「リエージュの戦い」の解説の一部です。
「リエージュ要塞」を含む「リエージュの戦い」の記事については、「リエージュの戦い」の概要を参照ください。

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