デビュー時の実績とは? わかりやすく解説

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デビュー時の実績

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/22 09:58 UTC 版)

原田真二」の記事における「デビュー時の実績」の解説

広島市立舟入高校2年在学中に、フォーライフ・レコード新人オーディション応募吉田拓郎見出され3,000曲の中から選ばれた。1977年4月青山学院大学経済学部第二部経済学科入学同時に上京18歳だった同年10月25日に、拓郎プロデュースにより「てぃーんず ぶるーす」でデビューしたフォーライフ送った応募テープは、一人多重録音をしていたといわれ、ピアノの他、ギターシンセサイザーもこなし編曲自分でやったといわれるセカンド・アルバムセルフ・プロデュースたように最初から音楽的すごさ・才能ずば抜けた"早熟天才"であったデビューアルバム参加した鈴木茂が、「ほとんどやることはなかったよ」と言ったという。原田真二バンド佐野元春バンドハートランドドラマーとして掛け持ちした古田たかしは、ブレイク前の佐野を「すごいんだよ、マインドが真二とそっくりなんだ」と評した。 「てぃーんず ぶるーす発売後、翌11月に「キャンディ」、12月に「シャドー・ボクサー」をリリース。「3ヶ月連続レコードリリース」という前代未聞の形でデビューを飾ると、3曲が同時にオリコンベスト20入りするという、日本音楽史上初の快挙達成した。「3ヶ月連続レコードリリース」は、当時の所属事務所アミューズ社長大里洋吉アイデアよるものだが、どの曲も捨てがたく1曲にデビュー曲絞れなかったという事情もあった。「てぃーんず ぶるーす」、「キャンディ」、そして翌年発売された「タイム・トラベル」は『三部作』と呼ばれる。更にファーストアルバムFeel Happy」(1978年2月発売)も、オリコン史上初の初登場第1位獲得した(4週連続1位)。10代でのファーストアルバムオリコン1位獲得は、男性シンガーソングライターでは未だ原田のみ(2011年10月現在)。 1978年7月24日デビュー1年目(9ヶ月)、10代ソロ歌手、では史上初の日本武道館公演を行う。この公演皮切りに9月15日大阪府立体育会館まで全国六都市12ヶ所で行ったアリーナ(体育館)ツアーも、井上陽水がやって以来のもの。まだコンサート用のアリーナ少な時代で、50006000規模全国体育館廻った音楽最優先スタッフ結集され、当時世界最高のPAシステムアメリカとイギリスから導入したお客はほぼ100%女子中高生であったこの年武道館ライブ中心としたステージ・ドキュメント映画OUR SONG and all of you」も製作されている。監督ドキュメンタリー映画キャロル」で名をあげた龍村仁である。翌1979年武道館では、数曲、サックスプレイヤーの手借りた以外は、原田バンド5人だけで全ての音を出したギター1本弾語り松山千春を除くと、当時武道館コンサートでは、最も小さ編成でやり遂げバンド総体としてのハイレベルパフォーマンス高い評価受けた同年、4目のシングルタイムトラベル」で『第29回NHK紅白歌合戦』にも初出場

※この「デビュー時の実績」の解説は、「原田真二」の解説の一部です。
「デビュー時の実績」を含む「原田真二」の記事については、「原田真二」の概要を参照ください。

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