デビュー時の実績
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広島市立舟入高校2年在学中に、フォーライフ・レコード新人オーディションに応募。吉田拓郎に見出され3,000曲の中から選ばれた。1977年4月、青山学院大学経済学部第二部経済学科入学と同時に上京。18歳だった同年10月25日に、拓郎プロデュースにより「てぃーんず ぶるーす」でデビューした。 フォーライフに送った応募テープは、一人で多重録音をしていたといわれ、ピアノの他、ギター、シンセサイザーもこなし編曲も自分でやったといわれる。セカンド・アルバムをセルフ・プロデュースしたように最初から音楽的すごさ・才能のずば抜けた"早熟の天才"であった。デビューアルバムに参加した鈴木茂が、「ほとんどやることはなかったよ」と言ったという。原田真二バンドと佐野元春のバンド、ハートランドをドラマーとして掛け持ちした古田たかしは、ブレイク前の佐野を「すごいんだよ、マインドが真二とそっくりなんだ」と評した。 「てぃーんず ぶるーす」発売後、翌11月に「キャンディ」、12月に「シャドー・ボクサー」をリリース。「3ヶ月連続レコードリリース」という前代未聞の形でデビューを飾ると、3曲が同時にオリコンベスト20入りするという、日本音楽史上初の快挙を達成した。「3ヶ月連続レコードリリース」は、当時の所属事務所アミューズの社長大里洋吉のアイデアによるものだが、どの曲も捨てがたく1曲にデビュー曲を絞れなかったという事情もあった。「てぃーんず ぶるーす」、「キャンディ」、そして翌年に発売された「タイム・トラベル」は『三部作』と呼ばれる。更にファーストアルバム「Feel Happy」(1978年2月発売)も、オリコン史上初の初登場第1位を獲得した(4週連続1位)。10代でのファーストアルバム、オリコン1位獲得は、男性シンガーソングライターでは未だ原田のみ(2011年10月現在)。 1978年7月24日、デビュー1年目(9ヶ月)、10代ソロ歌手、では史上初の日本武道館公演を行う。この公演を皮切りに9月15日の大阪府立体育会館まで全国六都市12ヶ所で行ったアリーナ(体育館)ツアーも、井上陽水がやって以来のもの。まだコンサート用のアリーナが少ない時代で、5000〜6000人規模の全国の体育館を廻った。音楽最優先のスタッフが結集され、当時世界最高のPAシステムをアメリカとイギリスから導入した。お客はほぼ100%女子中高生であった。この年の武道館ライブを中心としたステージ・ドキュメント映画「OUR SONG and all of you」も製作されている。監督はドキュメンタリー映画「キャロル」で名をあげた龍村仁である。翌1979年の武道館では、数曲、サックスプレイヤーの手を借りた以外は、原田のバンド5人だけで全ての音を出した。ギター1本弾き語りの松山千春を除くと、当時の武道館コンサートでは、最も小さい編成でやり遂げ、バンド総体としてのハイレベルのパフォーマンスも高い評価を受けた。同年、4枚目のシングル「タイムトラベル」で『第29回NHK紅白歌合戦』にも初出場。
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