ディスパッチ紙記者時代とは? わかりやすく解説

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ディスパッチ紙記者時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/02 04:16 UTC 版)

ネリー・ブライ」の記事における「ディスパッチ紙記者時代」の解説

ブライ暮らしていたころのピッツバーグ新聞産業も盛んで、複数日刊紙発行されていた。そのうちの1紙であるピッツバーグ・ディスパッチ(英語版)紙には、エラスムス・ウィルソンによって書かれ社説相当するコラム静かに観察Quiet Observation)」が掲載されていた。1885年1月の同コラムでは、一部女性の間で職業に就く動きがあることは嘆かわしい、これによって女性家庭から離れることは女性使命忘れさせて社会組織破壊することだ、女性本分家庭である、と書かれていた。ディスパッチ紙の読者であったブライはこの記事読んで記者は何も分かっていないと思った。そこで編集長あてに反論の手紙を書いて投函した手紙では、女性男性同じだけの知性能力もあること、アメリカでは市民の持つ才能求めていること、女性この世界において進出し正し地位獲得すべきであることを主張した差出人の名前は「Lonely Orphan Girl内気な孤児少女)」とした。 ブライの手紙は、編集長であるジョージ・マドゥンの目に留まった。投稿の質は高く手紙読んだマドゥンは、この差出人ディスパッチ紙に新機軸もたらしうる存在であると感じた。そこで同紙に、名前と連絡先教えてほしいと伝え記事掲載したブライはこれを読んで会社訪れ、マドゥンと対面した。マドゥンはブライに、離婚についての記事を書くよう依頼しブライはそれに応じた。そして書かれ記事の内容はマドゥンを感心させた。マドゥンはこの記事新聞掲載するとともにブライ正社員として採用することにした。ブライ当時職を探しており、その依頼引き受けることとなった給料は週に5ドル。さらに、記事掲載するにあたって、マドゥンは「ネリー・ブライ」というペンネーム与えた当時女性記者本名記事書くことはしたないという風潮があったため、ペンネームをつけることが一般的であったためである。ペンネームの由来スティーブン・フォスターヒット曲中のタイトル・キャラクター、ネリー・ブライNelly Bly)である。ただし、ネリー綴りは曲(Nelly)とペンネーム(Nellie)で異なっている。 ブライは同紙でいくつかの調査記事執筆した。主に、工場働く人々主題とした。ブライ取材した工場では、劣悪な環境の中で女工たちが立ったまま、手に傷を負いながら、長時間働いていた。ブライ従業員に話を聞き時には実際に作業体験した。さらにブライは、工場で働く子供の住む貧民街訪れ家族が狭い一部屋で暖もなく暮らしている様子や、子供学校にも行けず10歳ぐらいで工場駆り出される状況確認したこうしたブライ体験基づいて書かれ一連の記事反響呼んだ社会改革運動の指導者女性参政権論者組合指導者教育者牧師からは励まし言葉受けた。しかし、工場主、地主実業家からは批判された。実業家たちは、以後こうした記事掲載した広告取りやめると編集長のマドゥンに告げ、マドゥンはこの意見に従うことになった。 これ以後ブライ担当変わり1886年1月からは、演劇音楽会オペラ美術展などの記事を書くようになった。これらの記事も質は水準上で読者好評だった。給料も週15ドル上がった。しかし、このような記事書き続けることはブライにとって退屈だった。数か月後、ブライメキシコへの半年間の取材旅行出かけることにした。マドゥンは治安理由反対したが、それを押し切りメキシコへと出発した。この旅行には母も同行したメキシコでは、主にメキシコ人日常生活についての記事執筆した。そして、アメリカ人思っているようなステレオタイプメキシコ像を改めようと、日々取材赴いた治安については、「女性は――こんなふうに書くのは残念ですが――アメリカよりこちらにいるほうが安全です」と書いている。 しかしある日ブライは、メキシコ政府によって逮捕される危険性があると警告受けたきっかけ1886年3月22日ブライ書いた記事で、そこではメキシコ政府批判したことによって逮捕され記者取材した内容書かれていた。当時メキシコ憲法33条では、外国人メキシコ政治言及することを禁止していたのである。そのためブライ予定早めて帰国した帰国ブライメキシコ政治的腐敗について批判した帰国したブライは、再び劇場芸術関連記事担当した。しかし、このような仕事嫌気がさし、1887年の春、ニューヨークへ行くとの書き置き残しディスパッチ社に出社しなくなった

※この「ディスパッチ紙記者時代」の解説は、「ネリー・ブライ」の解説の一部です。
「ディスパッチ紙記者時代」を含む「ネリー・ブライ」の記事については、「ネリー・ブライ」の概要を参照ください。

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