ディスパッチ紙記者時代
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「ネリー・ブライ」の記事における「ディスパッチ紙記者時代」の解説
ブライが暮らしていたころのピッツバーグは新聞産業も盛んで、複数の日刊紙が発行されていた。そのうちの1紙であるピッツバーグ・ディスパッチ(英語版)紙には、エラスムス・ウィルソンによって書かれた社説に相当するコラム「静かに観察(Quiet Observation)」が掲載されていた。1885年1月の同コラムでは、一部の女性の間で職業に就く動きがあることは嘆かわしい、これによって女性が家庭から離れることは女性の使命を忘れさせて社会組織を破壊することだ、女性の本分は家庭である、と書かれていた。ディスパッチ紙の読者であったブライはこの記事を読んで、記者は何も分かっていないと思った。そこで編集長あてに反論の手紙を書いて投函した。手紙では、女性も男性と同じだけの知性も能力もあること、アメリカでは市民の持つ才能を求めていること、女性もこの世界において進出し正しい地位を獲得すべきであることを主張した。差出人の名前は「Lonely Orphan Girl(内気な孤児の少女)」とした。 ブライの手紙は、編集長であるジョージ・マドゥンの目に留まった。投稿の質は高く、手紙を読んだマドゥンは、この差出人はディスパッチ紙に新機軸をもたらしうる存在であると感じた。そこで同紙に、名前と連絡先を教えてほしいと伝える記事を掲載した。ブライはこれを読んで会社を訪れ、マドゥンと対面した。マドゥンはブライに、離婚についての記事を書くよう依頼し、ブライはそれに応じた。そして書かれた記事の内容はマドゥンを感心させた。マドゥンはこの記事を新聞に掲載するとともに、ブライを正社員として採用することにした。ブライは当時職を探しており、その依頼を引き受けることとなった。給料は週に5ドル。さらに、記事を掲載するにあたって、マドゥンは「ネリー・ブライ」というペンネームを与えた。当時、女性記者は本名で記事を書くことははしたないという風潮があったため、ペンネームをつけることが一般的であったためである。ペンネームの由来はスティーブン・フォスターのヒット曲中のタイトル・キャラクター、ネリー・ブライ(Nelly Bly)である。ただし、ネリーの綴りは曲(Nelly)とペンネーム(Nellie)で異なっている。 ブライは同紙でいくつかの調査記事を執筆した。主に、工場で働く人々を主題とした。ブライが取材した工場では、劣悪な環境の中で女工たちが立ったまま、手に傷を負いながら、長時間働いていた。ブライは従業員に話を聞き、時には実際に作業も体験した。さらにブライは、工場で働く子供の住む貧民街も訪れ、家族が狭い一部屋で暖もなく暮らしている様子や、子供が学校にも行けずに10歳ぐらいで工場に駆り出される状況を確認した。 こうしたブライの体験に基づいて書かれた一連の記事は反響を呼んだ。社会改革運動の指導者、女性参政権論者、組合指導者、教育者、牧師からは励ましの言葉を受けた。しかし、工場主、地主、実業家からは批判された。実業家たちは、以後こうした記事を掲載したら広告を取りやめると編集長のマドゥンに告げ、マドゥンはこの意見に従うことになった。 これ以後ブライの担当は変わり、1886年1月からは、演劇や音楽会、オペラ、美術展などの記事を書くようになった。これらの記事も質は水準以上で、読者に好評だった。給料も週15ドルに上がった。しかし、このような記事を書き続けることはブライにとって退屈だった。数か月後、ブライはメキシコへの半年間の取材旅行に出かけることにした。マドゥンは治安を理由に反対したが、それを押し切り、メキシコへと出発した。この旅行には母も同行した。 メキシコでは、主にメキシコ人の日常生活についての記事を執筆した。そして、アメリカ人が思っているようなステレオタイプなメキシコ像を改めようと、日々取材に赴いた。治安については、「女性は――こんなふうに書くのは残念ですが――アメリカよりこちらにいるほうが安全です」と書いている。 しかしある日ブライは、メキシコ政府によって逮捕される危険性があると警告を受けた。きっかけは1886年3月22日にブライが書いた記事で、そこではメキシコ政府を批判したことによって逮捕された記者を取材した内容が書かれていた。当時のメキシコ憲法33条では、外国人がメキシコの政治に言及することを禁止していたのである。そのためブライは予定を早めて帰国した。帰国後ブライはメキシコの政治的腐敗について批判した。 帰国したブライは、再び劇場や芸術関連の記事を担当した。しかし、このような仕事に嫌気がさし、1887年の春、ニューヨークへ行くとの書き置きを残し、ディスパッチ社に出社しなくなった。
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