シャボン玉ホリデー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/01 00:44 UTC 版)
『シャボン玉ホリデー』(シャボンだまホリデー)は、1961年6月4日から1972年10月1日、および1976年10月9日から1977年3月26日まで日本テレビで2期にわたって放送されていた音楽バラエティ番組である。
注釈
- ^ 理由はあくまでも牛乳石鹸の会社都合であり、番組に関するものではない。
- ^ なお、後年には「ピーナッツ!」のサブタイトルは省略された。また、ザ・ピーナッツの冠番組は1本も実現しなかった(単発特番を除く)。
- ^ 現存する映像はキネコで収録されたモノクロ映像がほとんどだが、僅かにカラービデオテープで残っているものもある。
- ^ 事実、放送開始の1961年6月4日付けの各新聞に載せられた広告(牛乳石鹸製品と、翌6月5日にTBS系列局で放送を開始した朝日放送製作の牛乳石鹸提供番組『モウモウ湯繁盛記』の広告付き)では、ザ・ピーナッツがメイン扱いで、クレージーはゲスト的な扱いだった。
- ^ 牛乳石鹸の本社は大阪市城東区にある。
- ^ 第2期の放送開始前、日本テレビはこの時間帯(土曜 23:45 - 日曜 0:40)を使って海外ドラマを放送し、19:30 - 20:54にプロ野球ナイター中継を行った日には代わりに『全日本プロレス中継』を録画放送するという体制を取っていた。この体制は第2期の終了後にも再び取られ、1979年3月まで続けられた。
- ^ 当日の19:00 - 20:54に『元祖どっきりカメラ』の正月特番が編成されたため、ナイターシーズン中と同様に放送枠を繰り下げた。
- ^ 写真が存在する[7]。
- ^ 出演の経緯が詳述された資料がある[8]。
- ^ 入江美樹が担当することが多かったが、別の人物が行うこともあった。
- ^ 初期には、上段に「長方形に囲まれた乳牛マーク」、下段に「提供 牛乳石鹸」という構成だったが、中期からは、上段に「提供」、中段に「丸に囲まれた乳牛マーク」、下段に「牛乳石鹸」という構成に変わった。
- ^ 『木曜スペシャル』での放送だったため、同枠のスポンサーである花王その他による複数社提供となり、牛乳石鹸による提供は無かった。
- ^ この番組では、1971年に脱退した石橋エータローも15年ぶりに共演した。
- ^ ただし、この番組内ではクレージーキャッツが最終回まで出演しているという設定になっており、その意味ではフィクションであるといえる。
- ^ 当初は所ジョージが出る予定だった。
- ^ オープニングの終了後、髪を抑えたザ・ピーナッツの前に楽器を持ったハナが現れ、ピーナッツが気分が優れないのでハナが楽器を鳴らすが、ピーナッツは髪を綺麗にしたいと発言。そこでハナが懐から当時販売されていた「液体 牛乳シャンプー」の容器を取り出したところで同製品のCMとなる。
出典
- ^ a b c 日本テレビ放送網株式会社 社史編纂室 編『大衆とともに25年 沿革史』日本テレビ放送網、1978年8月、509頁。NDLJP:11954641/270。
- ^ 馬場康夫『「エンタメ」の夜明け ディズニーランドが日本に来た!』講談社、2007年、p.52
- ^ 日本テレビ開局5年目入社の齋藤太朗が語るテレビバラエティの初めの初め!光子の窓、シャボン玉ホリデー、バミるはウワバミから?クラシック班とジャズ班の確執とは?テレビ史の内側! - みんなのテレビの記憶・2022年11月17日
- ^ 難波利三「小説吉本興業」 文春文庫 p.225
- ^ a b c d 日本テレビ放送網株式会社社史編纂室 編『大衆とともに25年 写真集』日本テレビ放送網、1978年8月28日、76 - 77頁。NDLJP:11953800/48。
- ^ 瞳みのる『ロング・グッバイのあとで』(2011年 集英社)P174
- ^ 五歩一勇『シャボン玉ホリデー スターダストをもう一度』(1995年 日本テレビ放送網)P269
- ^ 五歩一勇『シャボン玉ホリデー スターダストをもう一度』(1995年 日本テレビ放送網)P236
- ^ a b 『河北新報』1964年11月1日 - 11月29日、1967年9月3日 - 9月24日、1971年8月1日 - 8月29日、1972年9月3日 - 10月1日付朝刊テレビ欄。
- ^ 『河北新報』1971年8月1日 - 8月29日、1972年9月3日 - 10月1日付朝刊テレビ欄。
- ^ 『福島民報』1963年6月30日 - 1970年8月16日、『河北新報』1971年8月1日 - 8月29日、1972年9月3日 - 10月1日付朝刊、テレビ欄。
- ^ 『福島民報』1966年4月10日 - 1970年9月27日付朝刊テレビ欄。
- ^ 『河北新報』1970年10月4日 - 10月25日、1971年8月1日 - 8月29日、1972年9月3日 - 10月1日付朝刊テレビ欄。
- ^ 『福島民報』1963年4月7日 - 1971年9月26日付朝刊テレビ欄。
- ^ 『NST』(新潟総合テレビ発行)p11
- ^ 『読売新聞』山梨・静岡版 1972年4月16日付朝刊テレビ欄。
- ^ a b 『北國新聞』1969年10月5日付朝刊、テレビ欄。
- ^ 『北日本新聞』1968年10月7日付朝刊テレビ欄より。
- ^ a b c d e 『愛媛新聞』1970年10月4日付朝刊、テレビ欄。
- ^ a b c d 『愛媛新聞』1964年11月1日朝刊、テレビ欄。
- ^ 『徳島新聞』1967年10月1日付朝刊、テレビ欄。
- ^ 『西日本新聞』1969年4月6日付朝刊、テレビ欄。
- ^ 天国のシャボン玉ホリデー(三越劇場) - 牛乳石鹸共進社株式会社 2015年3月12日閲覧。 (PDF)
- ^ テレビジョン その時代(7) ―昭和30年代の番組を見る― <テレビ放送開始30周年記念番組> - NHKクロニクル
シャボン玉ホリデー(1961 - 1972)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/13 08:31 UTC 版)
「シャボン玉ホリデー」の記事における「シャボン玉ホリデー(1961 - 1972)」の解説
制作は日本テレビと渡辺プロダクション(後年タレント部門をワタナベエンターテインメントに継承)。渡辺プロが目下売り出し中の双子の女性デュオ・ザ・ピーナッツを主役に据えた音楽バラエティショーとして制作された。現場の指揮は、渡辺プロダクションの制作部長・松下治夫(後の株式会社ワイズメン代表)が執った。 スポンサー探しは難航を極め、当初提供契約に難色を示していた牛乳石鹸が最終的にしぶしぶ行った経緯から同社より見返りを求められ、日本テレビが見返りとして番組名を『シャボン玉ホリデー』に変えた経緯がある。番組名がホリデーとなっているのは、牛乳石鹸社長の宮崎寅四郎による命名で、電通の堀貞一郎から牛乳石鹸への売り込みだったため、その労をねぎらい堀の名をとり堀貞(ホリテイ)からホリデーとした。なお、牛乳石鹸の一社提供だったため、番組冒頭には乳牛の鳴声「モー!」と番組テーマ曲をバックに「提供・乳牛マーク・牛乳石鹸」が書かれていた提供クレジットが入れられていた。その代償として、テーマ題の最後に「ピーナッツ!」とサブタイトルを入れることにした。ただ、視聴率が高かったため、結果的には成功ということになった。 番組はまず「牛乳石鹸提供、シャボン玉ホリデー!」のタイトルコールに次いで、乳牛の鳴き声でオチとなるコントをやり、その後ザ・ピーナッツがテーマソングをシャボン玉の舞う中で歌い、毎回一つのあるテーマに沿ってザ・ピーナッツ、ハナ肇とクレージーキャッツ、そして毎回登場するゲストを交え、コント・歌・トークなどを展開。番組からは数多くのギャグが生まれ、特に植木等の「お呼びでない?こりゃまた失礼致しました!」は番組を代表する伝説的なフレーズとして親しまれた。 第1回からカラー放送で、生放送ではなく、カラーVTRに収録して放送を行った。収録は出演者のスケジュール上、深夜に撮影されることが多く、時には、明け方までかかることもあったという。オープニングテーマとエンディングテーマからも伺えるとおり、番組の主役はザ・ピーナッツであるが、実質的にはハナ肇とクレージーキャッツとのW主演となった。 また、例年の8月にはクレージーが大阪市北区の梅田コマ・スタジアムで特別公演を行うため、系列局である読売テレビのスタジオ(当時は東天満に存在)を使って収録したこともある。 1972年に入ると、クレージーのメンバー全員揃っての出演は無くなる(ハナ肇か谷啓が出演)。そして同年5月からの約半年間は公開番組となり、谷啓、ピーナッツ、そして井上順之(現・井上順)がメインを務め、スタジオに動物を入れるなど往時とは別内容のものとなっていた。この頃にはジャッキー吉川とブルーコメッツもレギュラーとなっていた。この時期番組は視聴率も低迷しており、ザ・ピーナッツが当時関西で人気を誇っていた『ヤングおー!おー!』(毎日放送製作)にゲスト出演した際、「こっち(ヤングおー!おー!)のほうが面白い」と本音を漏らしたというエピソードも残っている。 番組は1972年10月1日、11年4か月の歴史に幕を下ろした。通常『シャボン玉ホリデー』と言えば、こちらの第1期を指すことの方が多い。
※この「シャボン玉ホリデー(1961 - 1972)」の解説は、「シャボン玉ホリデー」の解説の一部です。
「シャボン玉ホリデー(1961 - 1972)」を含む「シャボン玉ホリデー」の記事については、「シャボン玉ホリデー」の概要を参照ください。
シャボン玉ホリデー(1976 - 1977)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/13 08:31 UTC 版)
「シャボン玉ホリデー」の記事における「シャボン玉ホリデー(1976 - 1977)」の解説
第1期の終了から4年後の1976年10月9日、番組はオリジナルタイトル&提供(牛乳石鹸)のままでリバイバル。レギュラー陣はデビュー間もないピンク・レディーに三ツ矢歌子、藤村俊二、車だん吉を加えたメンバー構成で、第1期と同様に日本テレビで放送されていた。 しかし、放送時間は毎週土曜 23:45 - 日曜 0:15 と遅く、@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}視聴率は低かった[要出典]。低視聴率ならびにナイターシーズン用の『全日本プロレス中継』の枠確保のため、番組は半年後の1977年3月26日に終了したが、ピンク・レディーはこの番組がきっかけで、1977年に牛乳石鹸が発売した「シャワラン・ビューティシャンプー&リンス」のCMに出るようになった。 1977年1月1日には、『全日本プロレス中継』(全日本プロレス主催の正月興行)編成のために放送を休止した。第1期は一回も休止されなかったので、これがシリーズ唯一の休止となった。
※この「シャボン玉ホリデー(1976 - 1977)」の解説は、「シャボン玉ホリデー」の解説の一部です。
「シャボン玉ホリデー(1976 - 1977)」を含む「シャボン玉ホリデー」の記事については、「シャボン玉ホリデー」の概要を参照ください。
固有名詞の分類
- シャボン玉ホリデーのページへのリンク