カーソン郡の設立と成長
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/05/03 15:30 UTC 版)
「カーソン郡 (テキサス州)」の記事における「カーソン郡の設立と成長」の解説
カーソン郡は1876年にベア郡から分かれて設立され、1888年に組織化された。当時唯一の町だったパンハンドルが郡庁所在地になった。 1880年代には郡内に牧畜業が始まった。JA牧場は隣接する6郡に及び、100万エーカー (4,000 km2) 以上の広さがあった。1878年にはコロラド州のリチャード・E・マクナルティがテキサスに移住してターキートラック牧場を始めた。1882年、チャールズ・G・フランクリンが土地と牛の会社を作るために隣接郡内の鉄道用地 637,440エーカー (2,579.6 km2) を購入した。この土地は実を結ばず、1886年と1887年に、イギリスの社債権者のホワイトディア土地信託に売却された。 1886年にアッチソン・トピカ・アンド・サンタフェ鉄道の子会社である南カンザス鉄道がテキサス州内に路線を伸ばして、カーソン郡内にも入り、1888年にはパンハンドルが終着駅になった。1889年、フォートワース・アンド・デンバー鉄道が、パンハンドルとアームストロング郡のウォッシュバーンとを繋いだ。1904年、シカゴ・ロック・アイランド・アンド・ガルフ鉄道がこの線を買収した。1908年、南カンザス鉄道がその線をパンハンドルからアマリロ市まで延伸したことで、カンザス・テキサス・ニューメキシコ線が主要な大陸横断鉄道になった。チョクトー・オクラホマ・アンド・テキサス鉄道が郡の南端を通る線を建設した。 北東のロバーツ郡から鉄道で水を運ぶという問題を、風車を使って地下水をポンプで汲み上げることで解決した。 1909年には、郡内のホワイトディアにポーランド人カトリック教徒の移民が入った。彼らはまず州南部のカーンズ郡のパナマリアに入り、その後カーソン郡内に移ってきた。 ガルフ石油の試掘によって、1921年には郡内で、またパンハンドル地域では初の石油とガスの生産が始まった。1925年にはボーガー油田が発見され、パンハンドル地域における石油探査と生産が盛んになった。2000年末までの累計で178,398,900 バーレル (28,363,160 m3) の石油が生産された。 1942年9月、カーソン郡南西部の 16,076エーカー (65.06 km2) の土地にパンテックス軍需品工場が建設され、第二次世界大戦支援のために砲弾や爆弾を梱包し、出荷した。1945年8月に操業を終え、1949年には農業試験用地としてテキサス州工科大学アマリロ校に売却された。パンテックスは1951年に原子爆弾の組立工場として再開された。1960年、カリフォルニア州のローレンス・リバモア国立研究所のために高性能爆薬の開発を始めた。パンテックスでは長年核兵器備蓄品の維持と用済み後兵器の解体を安全確実に進める任務を担ってきた。
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