エセン・ブカ (モグーリスタン)
エセン・ブカ(Esen Buqa II、? - 1461年/62年)は、東チャガタイ・ハン国(モグーリスタン・ハン国)のハン(在位:1432年 - 1462年)。ワイスの子。
生涯
ワイスが没した後、モグーリスタン・ハン国は混乱した状態にあり、ワイスの遺子であるエセン・ブカとその兄のユーヌスはどちらも成人しておらず、いずれを支持するかで国内は二分された[1]。この時優勢だったのはエセン・ブカであり、ユーヌスは自分が不利な立場にあることを知るとティムール朝のウルグ・ベクの元に亡命した。このユーヌスの出奔によって、 エセン・ブカが唯一のハンとなる。統治期間のうち、最初の数年は順調だった。貴族(アミール)たちは皆忠誠を誓っており、1435年にワイスの死後にティムール朝に占領されたカシュガルの奪還に成功する。しかし、アミールたちは次第に若いエセン・ブカの権力が微弱と見做すようになり、ハン国は統制が取れない状態に戻り始めた[1]。アミールたちの信頼をいくらか回復した後アクスに移り、ハン国の有力者であるドゥグラト部のサイイド・アリーと姻戚関係を築くため、娘のダウラト・ニガル・ハニムとサイイド・アリーの子との婚姻を成立させた。
国内の統制を回復させた直後、エセン・ブカはマー・ワラー・アンナフルのティムール朝からの奪還を試みた。1451年にティムール朝北方の領土に侵入し、サイラーム、ヤシ、タシュケントを攻撃した[2]。アブー・サイードがマー・ワラー・アンナフルからモグーリスタン軍を駆逐するため兵力を結集すると進攻を注視し、エセン・ブカの軍はモグーリスタン国内まで追撃されることなく撤退した。度重なる侵入に業を煮やしたアブー・サイードはチャガタイ家の分裂を図り、シーラーズに留め置いていたユーヌスに軍隊をつけてモグーリスタンに送り返した[2]。ユーヌスはモグーリスタンのアミールの中に支持者を作り、カシュガルに進軍した。カシュガルを支配するサイイド・アリーはエセン・ブカに援軍を求め、エセン・ブカとサイイド・アリーの連合軍はカシュガル北東のフワーニ・サーラールでユーヌスを破った[2]。エセン・ブカはユーヌスを捕らえて再びティムール朝に追放した。だが、それから間もなくユーヌスはモグーリスタンに戻って支持者を集め、エセン・ブカはユーヌスに対して決定的な勝利を収められなかった。
1461年/62年にエセン・ブカは没し、彼の死によってモグーリスタンは再び分裂した。西部にユーヌス、東部にはエセン・ブカの子ドースト・ムハンマドが割拠しており、ドースト・ムハンマドの死までモグーリスタンの分裂は続いた。
カザフの流入
エセン・ブカはジャニベク・ハン、ケレイの2人に率いられてウズベクのアブル=ハイル・ハンから離反したカザフを受け入れた人物としても知られる[3]。 カザフ・ハン国が成立した後も両者の友好は保たれ、エセン・ブカの死後数10年の間、モグーリスタン・ハン国とカザフ・ハン国は同盟関係にあった。
脚注
参考文献
- S.G.クシャルトゥルヌイ、T.I.スミルノフ「カザフスタン中世史より」『アイハヌム2003』(加藤九祚訳, 東海大学出版会, 2003年)
- 小松久男・梅村坦・宇山智彦・帯谷知可・堀川徹編『中央ユーラシアを知る事典』(平凡社, 2005年4月)、556-557頁収録の系図
関連文献
- 以下の書籍にモグーリスタン・ハン国の君主の系図が収録されている。
- 小松久男編『中央ユーラシア史』(新版 世界各国史4)山川出版社、2000年
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「エセン・ブカ 2世」の例文・使い方・用例・文例
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- このお寺は12世紀にできたものだ
- 2世帯用住宅
- トム・ブラウン2世
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- エリザベス女王2世
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- 紀元950年にノルマンディーで初めて現れたロマネスク様式で、英国のノルマンディー征服から12世紀まで使われた
- 旧約聖書を拒絶し、イエスの人間としての神の肉体化を否定した、2世紀と3世紀のキリスト教の異教
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