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加藤九祚

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/27 02:55 UTC 版)

加藤 九祚(かとう きゅうぞう、1922年5月18日[1] - 2016年9月11日[1])は、日本の人類学者。アジア文化史考古学で、多くの著作と訳書がある。創価大学国立民族学博物館名誉教授。朝鮮名は李九祚[1][2] (イ・クジョ)[3]


注釈

  1. ^ 2010年版は他の著作が重なり翌年に発行、最終号は追悼集成
  2. ^ 白鳥正夫『シルクロードの現代日本人列伝』(三五館、2014年)-「第3章 ウズベキスタンで遺跡調査―加藤九祚・九〇歳超えても発掘ロマン」に詳細な紹介がある。
  3. ^ ネフスキーは、天才的な東洋言語学者で夫人は日本人。帰国後、ソ連スターリン体制で「国家叛逆罪」により、日本人妻イソと共に粛清処刑された(スターリンの死後に名誉回復)。初刊版では没年を1945年と記載したが、後に関係者の調査が進み1937年であることが判明した。新版で「死の真相」解明と、遺族(長年の交流がある)や関係者たちのその後を増補した。ネフスキー自身の論考集『月と不死』(平凡社東洋文庫, 1971)は加藤が解説担当。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac 加藤九祚 :: 東文研アーカイブデータベース”. www.tobunken.go.jp. 国立文化財機構 東京文化財研究所. 2023年10月27日閲覧。
  2. ^ 李九祚의 생애와 실크로드의 유리 (李九祚の生涯とシルクロードのガラス)”. 慶北大学校. 2019年6月2日閲覧。
  3. ^ ノ・ヒョンソク (2014年10月7日). “九十路を越えた"シルクロード権威者"の帰郷”. ハンギョレ新聞. 2019年6月2日閲覧。
  4. ^ “シルクロード研究の国際的大家、加藤九祚氏が死去 国立民族学博物館名誉教授”. 共同通信. (2016年9月12日). http://this.kiji.is/147997197037502465 2016年9月12日閲覧。 [リンク切れ]
  5. ^ 第1回~第10回南方熊楠賞受賞者”. 南方熊楠顕彰館. 2022年8月16日閲覧。
  6. ^ 立正大学ウズベキスタン学術交流プロジェクトシリーズ


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