みんしん‐がく【▽明▽清楽】
明清楽
名称: | 明清楽 |
ふりがな: | みんしんがく |
芸能工芸区分: | 芸能 |
種別: | 音楽 |
選択年月日: | 1978.03.25(昭和53.03.25) |
選択要件: | |
備考: | |
解説文: | 「明清楽」という言葉は中国の明朝の音楽と清朝の音楽という意味であるが、しかし現在では近世、中国から長崎を通じて伝えられて、日本で演奏された「中国の近世音楽」という意味に総称して用いている。明清楽は長崎から京都、大阪、江戸をはじめ諸方に伝えられ、幕末から明治中期頃まで流行し、特に月琴は明治には家庭で演奏され、また流し芸人である法界屋も用いるほどであった。しかし日清戦争を境として急激に衰えた。現在では長崎市内で数人の婦人により、僅かに伝承されている。明清楽は近世の外来音楽で、わが国の音楽にも影響を与え、音楽史上価値ある音楽である。 明楽は明の俗楽で、明末の乱のために寛永六(一六二九)年長崎に来往した明人魏之〓【えん】の伝えたもので、その子の孫皓の代に、明和年中、京に上り、同好の人々に教授して以来、明楽の名は世に広まった。彼の死後、門人等が師の遺業を守っていたが、後にわが国に入って来た清楽に圧倒されて滅び、その一部が僅かに清楽に吸収された。 清楽は文政ごろ(一八〇四~三〇)日本に初めて伝来した清代の俗楽で、清人の金琴江が長崎で教えたのがはじまりで、文人の間にも、これらを学ぶ者があらわれ、隆盛となった。さらに京都、江戸、名古屋、大阪でも大いに愛好され明治に入って、看々節、法界節などの俗曲はその流れを汲むほどであったが、今では長崎市にその遺曲の一小部分を伝えるのみとなった。 往時、明楽や清楽にはいろいろな楽器が用いられたが、現在、長崎市で演奏されている明清楽では月琴、胡琴、洋琴、唐琵琶、蛇皮線、明笛、片鼓【はんこ】で、これに歌が入る(歌の入らない純器楽曲もある)。曲目は算命【さんみん】曲、九連環、金銭花など十数曲が伝承されている。 |
明清楽
名称: | 明清楽 |
ふりがな: | みんしんがく |
芸能工芸区分: | 芸能 |
種別: | 音楽 |
選択年月日: | 1978.03.25(昭和53.03.25) |
選択要件: | |
備考: | |
解説文: | 「明清楽」という言葉は中国の明朝の音楽と清朝の音楽という意味であるが、しかし現在では近世、中国から長崎を通じて伝えられて、日本で演奏された「中国の近世音楽」という意味に総称して用いている。明清楽は長崎から京都、大阪、江戸をはじめ諸方に伝えられ、幕末から明治中期頃まで流行し、特に月琴は明治には家庭で演奏され、また流し芸人である法界屋も用いるほどであった。しかし日清戦争を境として急激に衰えた。現在では長崎市内で数人の婦人により、僅かに伝承されている。明清楽は近世の外来音楽で、わが国の音楽にも影響を与え、音楽史上価値ある音楽である。 明楽は明の俗楽で、明末の乱のために寛永六(一六二九)年長崎に来往した明人魏之〓【えん】の伝えたもので、その子の孫皓の代に、明和年中、京に上り、同好の人々に教授して以来、明楽の名は世に広まった。彼の死後、門人等が師の遺業を守っていたが、後にわが国に入って来た清楽に圧倒されて滅び、その一部が僅かに清楽に吸収された。 清楽は文政ごろ(一八〇四~三〇)日本に初めて伝来した清代の俗楽で、清人の金琴江が長崎で教えたのがはじまりで、文人の間にも、これらを学ぶ者があらわれ、隆盛となった。さらに京都、江戸、名古屋、大阪でも大いに愛好され明治に入って、看々節、法界節などの俗曲はその流れを汲むほどであったが、今では長崎市にその遺曲の一小部分を伝えるのみとなった。 往時、明楽や清楽にはいろいろな楽器が用いられたが、現在、長崎市で演奏されている明清楽では月琴、胡琴、洋琴、唐琵琶、蛇皮線、明笛、片鼓【はんこ】で、これに歌が入る(歌の入らない純器楽曲もある)。曲目は算命【さんみん】曲、九連環、金銭花など十数曲が伝承されている。 |
- みんしんがくのページへのリンク