remote
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remote | |
---|---|
出身地 | 日本 |
ジャンル | |
活動期間 |
1986年 - 1992年 2019年 - |
レーベル | ワーナー・パイオニア(1990年 - 1992年) |
事務所 | ホリプロ(1990年 - 1992年) |
公式サイト | 公式twitter |
メンバー |
池田貴族(ボーカル) HIRO(ギター) 愛川弘樹(ベース) 天草史郎前崎(キーボード) CHAPPY(ドラム) |
1987年にボーカル池田貴族とギターHIROの二人により結成。当初はメンバーが固定しなかったが、結成前に二人が参加していたバンド「Hip!」のメンバーらが加入する形で原宿歩行者天国などでライブ活動を開始、人気バンドとなる。1989年よりTBS系バラエティ番組『平成名物TV』内の1コーナー「三宅裕司のいかすバンド天国」に出演して脚光を浴び、翌1990年にシングル「NO!」でワーナー・パイオニアよりメジャー・デビュー。
活動期間中に5枚のシングル、3枚のアルバム、1本のライブ・ビデオをリリースするも、池田が心霊関連のテレビタレントとして活動を始めたことなどが影響し、1992年5月19日の渋谷エッグマン公演を最後に活動休止、同年9月に解散を表明した。2019年にはイベントライブにおいて限定的に再結成を行った。
注釈
- ^ 月刊LOGIN 連載コラム『池田貴族のコンピューター七転八起』第20回 ”泣ける、泣けるぞ赤坂BRITZライブ舞台裏” より以下引用
「remoteは1987年に、ヒロとふたりで結成したバンドだった。当初はメンバーがなかなか固定せず、苦労した時代が続いた。ふたりでバンドのチラシを、原宿でくばったこともあった。」 - ^ ACTには後に初音ミクの生みの親となるクリプトン・フューチャー・メディアの代表である伊藤博之も在籍していた。またACTのドラムス担当であった高木学は、メンバーの愛川ヒロキが楽曲提供をした千葉美加のバックバンドを務めていた。
- ^ 衣装を赤にした経緯は、remoteのライブを観覧した音楽事務所のスタッフが、当時のアマチュアバンドを凌駕した動員で盛り上がったライブを叱咤するような「今の動員でいい気になってもしょうがない。まずはremoteと言えば〇〇といったモノを考えた方がいい」というコメントを出したことに対し、その夜HIROが池田に電話で相談を持ちかけ「来週の歩行者天国から俺は全身赤にする」と言ったことがきっかけとなった。
- ^ 当日の在宅審査員からの「ボーカルの目つきが良かった」との指摘に池田は「当然ですよ」と返し、その後の「いか天」における取材においても「remote現象(げんしょう)と言われてますが…」とマイクを向けた相原勇に対し、「いや、“げんしょう”じゃない。“シンドローム”と呼んでもらいたい」と即座に突っ込んだことでも、「態度がでかい」「ふてぶてしい」などと言われたが、その態度がまた魅力の一つと言われ「リモートハリケーン」とも言われる人気を集めていった。
- ^ 視聴者からのはがき投票で順位を決める「いか天」内のコーナー『アマチュアバンドベスト10』では、4月22日放送分において1位になったものの、翌週4月29日から8月12日まで14週連続で2位(4月29日から7月1日までは10週連続でKUSU KUSU、続く7月22日から8月12日までは4週連続でA-CHIEFが1位)という記録となった。
- ^ ロック喫茶はラフォーレと交差点を挟んだ斜めに開店。
- ^ 天草史郎前崎は本活動からのメンバー加入となる。
- ^ アルバム『remote ancestors』はオリコンアルバムチャートにて最高位49位、登場週数3回で売り上げ枚数は0.9万枚という結果となった[50]。
- ^ 隠しトラックのため、ジャケットには収録曲として表示されていない。
- ^ 楽曲が使用された年ではなく、音源化された年で記載。
出典
- ^ 池田貴族 1993, p. 27- 「第一章 おもひで供養(幼少~青年期編) ありがとう、フィンガー5」より
- ^ 池田貴族 2000, pp. 64–65- 「第二章 追想 一九六三年五月~一九八四年五月」より
- ^ 池田貴族 2000, p. 79- 「第二章 追想 一九六三年五月~一九八四年五月」より
- ^ 池田貴族 2000, pp. 83–84- 「第二章 追想 一九六三年五月~一九八四年五月」より
- ^ 池田貴族 1993, pp. 94–95- 「第二章 おもひで供養(ミュージシャン編) 同級生」より
- ^ 池田貴族 2000, p. 93- 「第二章 追想 一九六三年五月~一九八四年五月」より
- ^ 池田貴族 2000, pp. 99–100- 「第二章 追想 一九六三年五月~一九八四年五月」より
- ^ 池田貴族 2000, pp. 128–129- 「第二章 追想 一九六三年五月~一九八四年五月」より
- ^ 池田貴族 2000, pp. 139–144- 「第三章 展開 一九八四年五月~一九九一年五月」より
- ^ 池田貴族 2000, p. 153- 「第三章 展開 一九八四年五月~一九九一年五月」より
- ^ 池田貴族 2000, p. 154- 「第三章 展開 一九八四年五月~一九九一年五月」より
- ^ 池田貴族 2000, p. 155- 「第三章 展開 一九八四年五月~一九九一年五月」より
- ^ 池田貴族 2000, pp. 157–158- 「第三章 展開 一九八四年五月~一九九一年五月」より
- ^ 池田貴族 2000, p. 158- 「第三章 展開 一九八四年五月~一九九一年五月」より
- ^ a b 池田貴族 2000, p. 160- 「第三章 展開 一九八四年五月~一九九一年五月」より
- ^ 池田貴族 1993, p. 57- 「第二章 おもひで供養(ミュージシャン編) イカ天秘話その1」より
- ^ 池田貴族 2000, p. 161- 「第三章 展開 一九八四年五月~一九九一年五月」より
- ^ 池田貴族 2000, pp. 161–162- 「第三章 展開 一九八四年五月~一九九一年五月」より
- ^ 池田貴族 2000, pp. 162–163- 「第三章 展開 一九八四年五月~一九九一年五月」より
- ^ a b 池田貴族 2000, p. 166- 「第三章 展開 一九八四年五月~一九九一年五月」より
- ^ 池田貴族 1993, pp. 59–60- 「第二章 おもひで供養(ミュージシャン編) イカ天秘話その1」より
- ^ 池田貴族 1993, p. 60- 「第二章 おもひで供養(ミュージシャン編) イカ天秘話その1」より
- ^ 池田貴族 2000, p. 167- 「第三章 展開 一九八四年五月~一九九一年五月」より
- ^ 池田貴族 2000, pp. 168–170- 「第三章 展開 一九八四年五月~一九九一年五月」より
- ^ 池田貴族 1993, pp. 62–64- 「第二章 おもひで供養(ミュージシャン編) イカ天秘話その2」より
- ^ 池田貴族 2000, pp. 169–171- 「第三章 展開 一九八四年五月~一九九一年五月」より
- ^ 池田貴族 1993, pp. 64–65- 「第二章 おもひで供養(ミュージシャン編) イカ天秘話その3」より
- ^ 池田貴族 2000, pp. 171–172- 「第三章 展開 一九八四年五月~一九九一年五月」より
- ^ 池田貴族 1993, pp. 65–66- 「第二章 おもひで供養(ミュージシャン編) イカ天秘話その3」より
- ^ 池田貴族 2000, pp. 172–173- 「第三章 展開 一九八四年五月~一九九一年五月」より
- ^ 池田貴族 2000, p. 173- 「第三章 展開 一九八四年五月~一九九一年五月」より
- ^ 池田貴族 1993, pp. 66–67- 「第二章 おもひで供養(ミュージシャン編) イカ天秘話その3」より
- ^ 池田貴族 1993, p. 55- 「第二章 おもひで供養(ミュージシャン編) 原宿歩行者天国」より
- ^ 池田貴族 2000, pp. 174–175- 「第三章 展開 一九八四年五月~一九九一年五月」より
- ^ a b c 池田貴族 2000, p. 182- 「第三章 展開 一九八四年五月~一九九一年五月」より
- ^ 池田貴族 2000, pp. 175–176- 「第三章 展開 一九八四年五月~一九九一年五月」より
- ^ 池田貴族 1993, p. 75- 「第二章 おもひで供養(ミュージシャン編) ホリプロとの契約」より
- ^ 池田貴族 2000, p. 176- 「第三章 展開 一九八四年五月~一九九一年五月」より
- ^ a b 池田貴族 1993, p. 76- 「第二章 おもひで供養(ミュージシャン編) ホリプロとの契約」より
- ^ 池田貴族 2000, pp. 176–177- 「第三章 展開 一九八四年五月~一九九一年五月」より
- ^ 池田貴族 2000, p. 177- 「第三章 展開 一九八四年五月~一九九一年五月」より
- ^ 池田貴族 1993, p. 78- 「第二章 おもひで供養(ミュージシャン編) ホリプロとの契約」より
- ^ 池田貴族 2000, p. 178- 「第三章 展開 一九八四年五月~一九九一年五月」より
- ^ 池田貴族 1993- 「第二章 おもひで供養(ミュージシャン編) 嗚呼、海外レコーディング」より
- ^ 池田貴族 1993, pp. 80–81- 「第二章 おもひで供養(ミュージシャン編) 嗚呼、海外レコーディング」より
- ^ 池田貴族 2000, p. 181- 「第三章 展開 一九八四年五月~一九九一年五月」より
- ^ a b c 池田貴族 1993, p. 81- 「第二章 おもひで供養(ミュージシャン編) 嗚呼、海外レコーディング」より
- ^ a b c 池田貴族 1993, p. 83- 「第二章 おもひで供養(ミュージシャン編) 海外レコーディングの逆襲」より
- ^ 池田貴族 2000, p. 186- 「第三章 展開 一九八四年五月~一九九一年五月」より
- ^ オリコンチャート・ブック アルバムチャート編 1999, p. 169.
- ^ a b 池田貴族 1993, p. 85- 「第二章 おもひで供養(ミュージシャン編) 愚痴」より
- ^ 池田貴族 2000, p. 13- 「第一章 覚醒 一九九〇年七月~一九九ニ年四月」より
- ^ 池田貴族 2000, pp. 18–19- 「第一章 覚醒 一九九〇年七月~一九九ニ年四月」より
- ^ 池田貴族 2000, pp. 24–27- 「第一章 覚醒 一九九〇年七月~一九九ニ年四月」より
- ^ 池田貴族 1993, p. 82- 「第二章 おもひで供養(ミュージシャン編) 嗚呼、海外レコーディング」より
- ^ a b 池田貴族 2000, p. 201- 「第四章 開花 一九九二年四月~一九九六年九月」より
- ^ 池田貴族 2000, p. 202- 「第四章 開花 一九九二年四月~一九九六年九月」より
- ^ 池田貴族 1993, p. 103- 「第二章 おもひで供養(ミュージシャン編) リモート解散」より
- ^ 池田貴族 2000, p. 203- 「第四章 開花 一九九二年四月~一九九六年九月」より
- ^ a b c 池田貴族 2000, p. 204- 「第四章 開花 一九九二年四月~一九九六年九月」より
- ^ a b c d 池田貴族 1993, p. 104- 「第二章 おもひで供養(ミュージシャン編) リモート解散」より
- ^ 池田貴族 2000, p. 205- 「第四章 開花 一九九二年四月~一九九六年九月」より
- ^ 池田貴族 1993, pp. 101–104- 「第二章 おもひで供養(ミュージシャン編) リモート解散」より
- ^ 池田貴族 2000, p. 200- 「第四章 開花 一九九二年四月~一九九六年九月」より
- ^ 池田貴族 2000, pp. 205–206- 「第四章 開花 一九九二年四月~一九九六年九月」より
- ^ 池田貴族 2000, p. 207- 「第四章 開花 一九九二年四月~一九九六年九月」より
- ^ 池田貴族 2000, p. 272- 「第五章 変転 一九九六年十月~一九九九年五月」より
- ^ 池田貴族 2000, p. 297- 「第五章 変転 一九九六年十月~一九九九年五月」より
- ^ 池田貴族 2000, p. 300- 「第五章 変転 一九九六年十月~一九九九年五月」より
- ^ 古田雄介 (2022年8月31日). “1999年に逝った男が綴ったサイトが今も残る意味”. 東洋経済オンライン. 東洋経済新報社. p. 1. 2022年9月24日閲覧。
- ^ “「イカ天」18年ぶり復活で貴重映像大量オンエア”. 音楽ナタリー. ナターシャ (2007年12月18日). 2022年10月2日閲覧。
- ^ “伝説の番組「イカ天」30周年で“平成最後のライブ”開催 萩原健太がウラ話を語る”. デイリー新潮. 新潮社 (2018年10月5日). 2022年10月2日閲覧。
- ^ “最恐の写真収集家・池田貴族氏の秘蔵心霊写真を大公開!!呪いの品が集まるお寺の三木住職がもつ、最恐の品とは!?/最恐映像ノンストップ8”. テレ東 リリ速. テレビ東京 (2020年8月26日). 2022年10月2日閲覧。
- ^ “Believe3|remote”. オリコンニュース. オリコン. 2022年9月25日閲覧。
固有名詞の分類
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