STS-51 STS-51の概要

STS-51

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/13 05:09 UTC 版)

STS-51
SPASから見たディスカバリー
任務種別人工衛星の放出
天文学
運用者NASA
COSPAR ID1993-058A
SATCAT №22795
任務期間9日20時間11分11秒
飛行距離6,608,628 km
周回数157
特性
宇宙機スペースシャトルディスカバリー
着陸時重量92,371 kg
ペイロード重量18,947 kg
乗員
乗員数5
乗員フランク・カルバートソン英語版
ウィリアム・レディ英語版
ジェームズ・ニューマン
ダニエル・バーシュ英語版
カール・ウォルツ
任務開始
打ち上げ日1993年9月12日 11:45(UTC)
打上げ場所ケネディ宇宙センター第39発射施設B
任務終了
着陸日1993年9月22日 07:56(UTC)
着陸地点NASAシャトル着陸施設15番滑走路
軌道特性
参照座標地球周回軌道
体制低軌道
近点高度300 km
遠点高度308 km
傾斜角28.45°
軌道周期90.6分

左から、カルバートソン、バーシュ、ウォルツ、レディ、ニューマン
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打上げ準備

RSSから見た打上げ

STS-51の打上げは発射台上で3度延期され、宇宙飛行士はそのたびに宇宙船に乗りこんだことで知られる[2]

  • 1993年7月17日には、固体ロケットブースターを移動式発射プラットフォームから切り離すきっかけとなる着火装置のコントローラの欠陥により発射台上で延期された。
  • 1993年7月24日には、固体ロケットブースターの1つの油圧ユニットに生じた問題により、再び発射台上で延期された。ペルセウス座流星群のため、8月の第2週になるまで、次の打上げ機会は訪れなかった。
  • 1993年8月12日には、SSMEが点火される残り3秒までカウントダウンが進んだが、SSMEの1つの燃料流センサの異常が引き金となって停止した。
  • 1993年9月12日に打上げが成功した。

ACTS

ACTSの放出
静止軌道に向かうACTS

Advanced Communications Technology Satellite(ACTL)は、飛行1日目に放出された。この衛星は、実験的な通信衛星のコンセプトや技術を実証するためのテストベッドとなる。その上段であるTransfer Orbit Stage (TOS)は、放出の45分後に点火し、衛星を対地同期軌道まで押し上げた。

ACTS放出の最初の試みは、予定時間の約30分前に地上との双方向通信が途切れたことで、延期された。地上側では、ディスカバリーからのテレメトリーと音声を受け取ることができたが、乗組員の側では、地上からの通信を受け取れなかった。乗組員が"go"の声を受け取れなかったため、事前のプランに従って、14:43(CDT)の放出のタイミングは断念された。

この断念後、乗組員は、シャトルのS帯通信システムを低周波数に合わせ、地上との双方向通信を回復した。双方向通信の喪失は、約45分間に及んだ。通信の回復後、地上ですぐに次の放出の計画が作られ、最終的には成功した。

9月12日の放出作業中、衛星を切り離すように設計されたAirborne Support Equipment cradle (ASE)の予備を含む2本のSuper*Zip導爆線が同時に爆発した。これにより、ペイロードベイと3番目のAPU付近のAFTの間の隔壁に取り付けられた2ダースの耐熱ブランケットに小さな裂け目が生じた。また、TOSを保持するASEリングも破損しており、オービタから遠ざかると、放出された破片が見えた。ACTSは、ハイリスクで先進的な通信衛星技術の開発や飛行試験を可能とした。マルチスポットビームアンテナと先進的なスイッチング及びプロセシングシステムを用い、新しい通信衛星技術を切り開いた。NASAのグレン研究センターが実験用通信衛星の長い伝統の一環として、ACTSを開発、維持、運用した。

ACTSギガビット衛星ネットワークの重要な一部としての当初のミッションを達成して後も、機体はNASAと非営利コンソーシアムの共同で運用を続けられ、資金が枯渇した後の2004年4月28日に終了した。衛星は、太陽電池アレイの端が太陽に面した状態で平らに回転するようになり、これにより理論的には衛星の再起動が阻止されることとなった。2000年にNASAが、燃料の枯渇のためより高い墓場軌道まで運ぶことができないと判断した後、他の衛星に対するリスクが最も小さい西経105.2度の軌道に移動されることになった。グレン研究センターでACTSの運用マネージャを務めたRichard Krawczykによると、あと数千年は、ACTSは大気圏再突入しないと考えられる[3]

SPAS-ORFEUS

RMSに捕捉されたORFEUS-SPASプラットフォーム

このミッションのその他のペイロードには、シャトルパレット衛星に搭載されたOrbiting Retrievable Far and Extreme Ultraviolet Spectrometer (ORFEUS)望遠鏡がある。ORFEUSは、ガス状の星間雲の研究と同時に、恒星がどのように生まれ、どのように死ぬかの情報を得られるように設計された。その他、カーゴベイでは、Limited Duration Space Environment Candidate Materials Exposure (LDCE)実験が行われた。

メッサーシュミット・ベルコウ・ブロームは、1986年に自由飛行天文学プラットフォームとしてSPASキャリアの開発を開始した。ドイツ宇宙機関(DARA)とNASAは、DARAが衛星を提供し、NASAがシャトルの打上げと放出/回収サービスを行い、両者が科学機器を共有するという内容の4つの共同科学ミッションの実施に合意した。NASAは、データへのアクセス、アメリカ側の実験の実施を見返りとして、無料でシャトルを提供した。400-1,280Åの放射を測定できるように設計されたORFEUSは、1993年9月13日の14:06(UTC)に放出され、9月19日11:50(UTC)に回収された。チュービンゲン大学、ハイデルベルク天文台、カリフォルニア大学バークレー校プリンストン大学からの科学的な貢献があった。ORFEUSの望遠鏡は、フランスのREOSCが提供した1 m f/2.5鏡を用いて、ドイツのKayser-Threde(現OHBシステム)が組み立てた。熱い銀河や星間物質の高解像度観測(240,000)において、分解能950-1150AのIMAPS(Interstellar Medium Absorption Profile Spectrograph)が加わった。

他のペイロードとしては、DLRのSurface Effective Sample Monitor、また軌道上でIMAX映画Destiny in Spaceを撮影したカナダのIMAX Cargo Bay Cameraがあった。この映像の一部にはSpace Station 3Dもあり、これは、SPASプラットフォームで合計7度宇宙飛行したうちの4度目であった。1996年のSTS-80では、SPAS-ORFEUS版が再飛行した。




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