1964年のル・マン24時間レース 1964年のル・マン24時間レースの概要

1964年のル・マン24時間レース

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/06/11 06:32 UTC 版)

1964年のル・マン24時間レース
前年: 1963 翌年: 1965
1964年のコース

概要

フェラーリ買収を目論んで失敗していたフォードはフェラーリをル・マンで打ち負かそうと、ヨーロッパのレースを戦う基地をイギリスに作り、ジョン・ワイヤーを監督に招き、1963年のル・マン24時間レースに参戦していたローラ・カーズの車両を買い取って自社製V型8気筒エンジンを載せてフォード・GT40を製作し、3台を持ち込んだ[2]。ドライバーもフィル・ヒル/ブルース・マクラーレン組、リッチー・ギンサー/マステン・グレゴリー(Masten Gregory )組、リチャード・アトウッド/ジョー・シュレッサー組と一流を揃えた。

出走は55台[3][1]

フォード・GT40Mk.1は快速だったがエンジンやトランスミッションにトラブルを起こして全車リタイヤした[2]

完走は24台[1][3][4]

ジャン・ギシェ(Jean Guichet )/ニーノ・ヴァッカレラ(Nino Vaccarella )組[1][3][4]フェラーリ・275P[1][4]の20号車が24時間で4695.310km[4][1][3]を平均速度195.638km/h[1][4]で走って優勝した。フェラーリは表彰台独占[2]。5連勝[1][3]、8勝目[1][3][4]

イギリスのシェルビー・アメリカンからフォードエンジンを搭載したシェルビーコブラデイトナが4位に入った。

参考文献




[ヘルプ]
  1. ^ a b c d e f g h i 『ルマン 伝統と日本チームの戦い』p.223「資料1」。
  2. ^ a b c 『ルマン 伝統と日本チームの戦い』pp.27-154「ルマン24時間レースの歴史」。
  3. ^ a b c d e f 『ル・マン 偉大なる草レースの挑戦者たち』pp.298-303。
  4. ^ a b c d e f 『ル・マンの英国車』pp.120-123「1964」。


「1964年のル・マン24時間レース」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「1964年のル・マン24時間レース」の関連用語

1964年のル・マン24時間レースのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



1964年のル・マン24時間レースのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの1964年のル・マン24時間レース (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS