鳩ヶ谷市
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/11 04:57 UTC 版)
概要
江戸時代には、日光御成街道に鳩ヶ谷宿が置かれ、宿場町や市場町として発展した。
もともと、交通手段は路線バスしかなく、「陸の孤島」などと揶揄されてきた住民にとって[2]、鉄道開通は長い間の悲願であった。反面、周辺町村と比べてやや開発が遅れていたことが幸いし、宿場町や市場町の面影が見られる。
2001年(平成13年)3月28日、埼玉高速鉄道が開業して以降、賃貸マンションの建設ラッシュが起きた[2]。
都市化
住宅・商業・工業と地区が分けられている。
人口は、埼玉高速鉄道線の開通を機に急激に増加した。それにより、大規模マンションや商業施設が建設されている。
交通面では、東京メトロ南北線や東急目黒線に直通している埼玉高速鉄道線鳩ヶ谷駅や南鳩ヶ谷駅の開業により、都心へのアクセスが大幅に向上した。また、鳩ヶ谷駅からの始発電車も設定されている。鳩ヶ谷駅周辺は、日光御成街道の宿場町や市場町という昔ながらの雰囲気を強く受け、老舗が数多く立ち並んでいる。
路線バスの運行も発達しており、JR京浜東北線の蕨駅 - 赤羽駅までの各駅へのアクセスが柔軟である。市内循環バス「ミニは〜と」(2013年12月14日 廃止)は、運賃が全区間大人100円、子供50円で利用可能であった。また、国道122号や埼玉県道1号さいたま川口線・埼玉県道58号台東鳩ヶ谷線(第二産業道路)などの道路が多くあるため、自動車での来訪者も多い。
地名の由来
明確な由来は解明されていないが、鳩ヶ谷の地名の「谷」については、大宮台地の斜面に食い込む谷が多い地形に由来している。「鳩」については、平安時代の『和名抄』という史料に武蔵国足立郡発度郷という地名が存在し、この発度郷をハト郷あるいはハット郷と読んでいたとする説があり、台地の先端部すなわち端(ハシ)という音がハトに転訛したという説も存在する。別の説では、窪地の意味を表す「ホト」が訛って鳩になり、周りが谷状になっているため「谷」が付け足されたとされる。
地理
当市南東部の八幡木三丁目が東京都足立区入谷九丁目に隣接している(隣接部分は約700m)ほかは、川口市に囲まれていた。市内の地形は南側は平地だが、北上するにしたがって標高が高くなる。
国道122号バイパスを境に、町並みが分かれている。厳しい地形の北東部には坂道が続く日光御成道が通り、それに沿って商店街が構成されている。中でも、見沼代用水にかかる吹上橋すぐの急坂は御成坂(おなりざか)といい、この斜面に住宅や商店などを構える人も多い。一方、市の西側にあたる辻地区は平坦だが、同じく西側に位置する里地区は北上するにつれ、上り坂となる。
地形を問わず、全体的に住宅が密集している。市西側の辻地区や里地区などでは昭和時代には田畑が点在していたが、近年急速に宅地化しており、ほぼ全域が市街化している。
河川
川口市 | ||||
川口市 | 川口市 | |||
鳩ヶ谷市 | ||||
足立区 |
- ^ 1940年(昭和15年)から1950年(昭和25年)の期間も川口市に編入されていたため、事実上の再編入となる(後述)。
- ^ a b 埼玉高速鉄道の沿線、続々と賃貸マンション 東川口―南鳩ヶ谷間に集中 読売新聞 2002年4月10日 東京朝刊 埼玉南 32頁
- ^ 同年3月25日自治省告示第65号「市の境界変更」
- ^ 歴代知事編纂会 1983, 791-792頁.
- ^ “川口との合併推進を 鳩ヶ谷で市民の会設立へ”. 埼玉新聞 (2007年8月7日). 2015年1月31日閲覧。
- ^ a b c d e “川口市・鳩ヶ谷市の合併について”. 埼玉県. 2015年1月31日閲覧。
- ^ “わが街のDNA⑤ わが街・歴史探訪 - 鳩ヶ谷編”. 週刊新藤 (2004年9月6日). 2015年1月31日閲覧。
固有名詞の分類
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