高平小五郎 参考文献

高平小五郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/07 05:40 UTC 版)

高平 小五郎(たかひら こごろう、嘉永7年1月1日1854年1月29日) - 大正15年(1926年11月28日)は、日本外交官[1]男爵貴族院議員等を務めた。1905年の日露講和会議小村寿太郎とともに全権委員を務め、1908年には日露戦争後の日米関係を定めた高平・ルート協定を締結した。


注釈

  1. ^ 外交文書『日露戦争』より。

出典

  1. ^ 朝日日本歴史人物事典、精選版 日本国語大辞典「高平小五郎」
  2. ^ a b c d 酒田(1994)
  3. ^ 永峰(2001)pp.29-37
  4. ^ a b 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、16頁。
  5. ^ 『官報』第7307号、明治40年11月5日。
  6. ^ Gould, The Presidency of Theodore Roosevelt, pp.268
  7. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、25頁。
  8. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、36頁。
  9. ^ 「高平・ルート協定締結の功績残し、死去」『東京朝日新聞』1926年11月30日(大正ニュース事典編纂委員会 『大正ニュース事典第7巻 大正14年-大正15年』本編p.386 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  10. ^ a b c 高平小五郎『人事興信録』第8版、昭和3(1928)年
  11. ^ 樋口 一成(読み)ヒグチ カズシゲコトバンク
  12. ^ 『官報』第2545号「叙任及辞令」1891年12月22日。
  13. ^ 『官報』第2776号「叙任及辞令」1892年9月27日。
  14. ^ 『官報』第3388号「叙任及辞令」1894年10月11日。
  15. ^ 『官報』第3704号「叙任及辞令」1895年11月1日。
  16. ^ 『官報』第5249号「叙任及辞令」1900年12月28日。
  17. ^ 『官報』第7175号「叙任及辞令」1907年6月1日。
  18. ^ 『官報』第558号「叙任及辞令」1914年6月11日。
  19. ^ 『官報』第3644号「叙任及辞令」1895年8月21日。
  20. ^ 『官報』第5848号「叙任及辞令」1902年12月29日。
  21. ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1907年3月31日。
  22. ^ 『官報』第7578号・付録「辞令」1908年9月28日。
  23. ^ 『官報』第1310号・付録「辞令」1916年12月13日。
  24. ^ 『官報』第3493号「叙任及辞令」1895年2月23日。


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