陝西省 (中華民国) 陝西省 (中華民国)の概要

陝西省 (中華民国)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/29 02:25 UTC 版)

中華民国 陝西省
← 1911年 - 1949年
陝西省の位置
陝西省の位置
簡体字 陕西
繁体字 陝西
拼音 Shǎnxī
カタカナ転記 シャンシー
国家 中華民国
行政級別
政府所在地 長安県1911-1943
西安市1943-1949
成立 1911年
消滅 1949年 
面積
- 総面積 187,691 km²
人口

管轄区域

管轄区域は現在の中華人民共和国陝西省に相当する。

東は山西省湖北省及び河南省、西は甘粛省、南は四川省、北は綏寧省と接していた。

行政沿革

1911年宣統3年)10月10日、武昌起義により辛亥革命が勃発すると10月22日、 陝西新軍もこれに呼応し決起、同月25日に秦隴復漢総司令部を組織、長官を大総統とし、下部に軍令、兵馬、軍務等の都督が設置された。11月26日、陝西軍政府が成立、大総統は都督と改称されている。

1912年民国元年)7月、省行政の民政部門の長官として民政長を設置、1914年(民国3年)5月23日には民政長を巡按使と改称、更に1916年(民国5年)7月6日に省長と改称されている。

1927年(民国16年)6月、国民党鄭州会議により陝西省政府の設置を決定、武漢国民政府に、4月21日の上海クーデター移行は南京国民政府に帰属している。1949年(民国38年)5月20日、中国人民解放軍により西安が「解放」され中華民国は実効支配権を喪失した。

省会

1943年(民国32年)2月以前は長安県に、それ以降は西安市に設置された。

行政区画

道制

中華民国が建国されると清代の各道は廃止されたが、1913年(民国2年)3月、清代の旧道地区に陝中道陝東道陝南道陝西道陝北道の5道が設置されたが、まもなく陝西中道陝西南道陝西北道に改編され、観察使が任命されている。1916年(民国5年)5月、省内は関中道漢中道楡林道の3道が設置された。

県級行政区画

中華人民共和国成立直前の管轄行政区画はの92県2設治局。(50音順)

行政督察区

脚注




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