賀集正三
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/18 23:57 UTC 版)
賀集正三 七段 | |
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名前 | 賀集正三 |
生年月日 | 1932年2月12日 |
没年月日 | 2017年9月6日(85歳没) |
プロ入り年月日 | 1956年1月22日(23歳) |
引退年月日 | 1970年3月31日(38歳) |
棋士番号 | 70 |
出身地 | 兵庫県三原郡(現・南あわじ市) |
所属 | 日本将棋連盟(関西) |
師匠 | 角田三男八段 |
弟子 | 前田祐司、西川慶二、平藤眞吾 |
段位 | 七段 |
棋士DB | 賀集正三 |
戦績 | |
一般棋戦優勝回数 | 2回 |
順位戦最高クラス | C級2組 |
2017年9月19日現在 |
棋歴
1956年、四段昇段(プロ入り)。
第9回(1965年)古豪新鋭戦で優勝。
プロ入りから14年後の1970年に四段のまま引退する。
日本将棋連盟関西本部の普及部を長く担当。また、自宅教室、出張先のクラブ、団体等での指導、町の文化委員を務めるなど、将棋の普及活動に広く尽力[1]。
棋風
中盤から終盤まで押しつ押されつの攻防が特徴的な棋風である。
弟子
棋士となった弟子
名前 | 四段昇段日 | 段位、主な活躍 |
---|---|---|
前田祐司 | 1975年7月29日 | 九段 |
西川慶二 | 1981年11月3日 | 八段 |
平藤真吾 | 1991年4月1日 | 七段 |
(2018年4月1日現在)
昇段履歴
- 1949年 6級 = 奨励会入会
- 1956年1月22日 四段 = プロ入り
- 1970年 引退
- 1971年11月3日 五段(贈五段 = 「表彰感謝の日」表彰)
- 1989年11月17日 六段(贈六段 = 「将棋の日」表彰)
- 2006年11月 七段
主な成績
棋戦優勝
- 古豪新鋭戦 1回(1965年 = 第9回)
- 東西対抗勝継戦 1回(1966年)
- 優勝合計2回
在籍クラス
開始 年度 |
順位戦 | 竜王戦 | ||||||||||||||
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期 | 名人 | A級 | B級 | C級 | F | 期 | 竜王 | 1組 | 2組 | 3組 | 4組 | 5組 | 6組 | |||
1組 | 2組 | 1組 | 2組 | |||||||||||||
1956 | 11 | C218 | ||||||||||||||
1957 | 12 | C203 | ||||||||||||||
1958 | 13 | C210 | ||||||||||||||
1959 | 14 | C211 | ||||||||||||||
1960 | 15 | C203 | ||||||||||||||
1961 | 16 | C207 | ||||||||||||||
1962 | 17 | C208 | ||||||||||||||
1963 | 18 | C209 | ||||||||||||||
1964 | 19 | C215 | ||||||||||||||
1965 | 20 | C208 | ||||||||||||||
1966 | 21 | C205 | ||||||||||||||
1967 | 22 | C211 | ||||||||||||||
1968 | 23 | C211 | ||||||||||||||
1969 | 24 | C217 | ||||||||||||||
順位戦、竜王戦の 枠表記 は挑戦者。順位戦の X(数字) はクラス内順位。 順位戦の「F」はフリークラス (F編:フリークラス編入 / F宣:宣言による転出) 竜王戦の 太字 はランキング戦優勝、竜王戦の 組(添字) は棋士以外の枠での出場。 |
- ^ a b 平成10年版「将棋年鑑」
- ^ “訃報 賀集正三七段|将棋ニュース|日本将棋連盟”. 2017年9月19日閲覧。
固有名詞の分類
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