藤原光房 経歴

藤原光房

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/24 07:27 UTC 版)

経歴

元永3年(1120年)に正六位上大膳亮に任ぜられた後、白河院政期末に摂津守を務める。保延4年(1138年伊賀守の任にあった際、光房が築造した土御門殿崇徳天皇が還御したが、わずか7ヶ月後に土御門殿は焼亡している。

その後、勘解由次官を経て、永治元年(1141年源師能とともに近衛天皇五位蔵人に任ぜられ、久安3年(1147年)には右少弁も兼ねて三事兼帯となったか。久安6年(1150年)従四位上・権右中弁、仁平元年(1151年正四位下と近衛朝後半は弁官を務めながら順調に昇進し、近衛天皇中宮・藤原呈子にも中宮亮として仕えた。

久寿元年(1154年)11月10日に出家し、翌11日卒去。享年46。最終官位は権右中弁正四位下兼中宮亮。

官歴

注記のないものは『弁官補任』による。

系譜


  1. ^ 『中右記』
  2. ^ a b 『尊卑分脈』
  3. ^ 『国司補任』
  4. ^ a b 『蔵人補任』


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