荒川橋梁 (東北本線) 2代荒川橋梁

荒川橋梁 (東北本線)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/01 14:14 UTC 版)

2代荒川橋梁

複々線化して貨物線と旅客線を分離

荒川橋梁(2代)
東北本線2代荒川橋梁
基本情報
日本
交差物件 荒川
施工者 間組
建設 1925年(大正14年)9月 - 1927年(昭和2年)4月[39]
橋桁製作者 汽車製造・石川島造船所
構造諸元
形式 トラス橋
設計活荷重 クーパーE40
上部工材料 鋼鉄
下部工材料 鉄筋コンクリート
橋桁重量 345トン(トラス桁1連あたり)
全長 2,265ft4in(約690.5m)[40]
最大支間長 200ft(約61m)[40]
支間割 60フィート×17+200フィート×3+60フィート×8
関連項目
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式
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左岸側より望む現在の貨物線。旅客線はまだ建設されていない。

大正から昭和初期になると東北本線の東京近郊の輸送量は次第に増加し、複線のままでは輸送力が不足するようになってきた[41]。そこで赤羽 - 大宮間にさらに2線を増設して旅客と貨物を分離運転させ、南側から赤羽まで順次延長してきた京浜東北線を旅客線(電車線)に接続して大宮まで延長運転する計画となった[41]。この際に、荒川橋梁は列車荷重の増大で早晩取り換える必要性があったことに加えて、関東大震災で大損害を受けて応急復旧していた経緯があることから、4線分をすべて新設して旧橋梁を撤去することになった[42]

新設される橋梁は、従来の橋梁より約38メートル上流に2線、約18メートル上流に2線とした[43]。上流側に架設されたのが震災復興費支出による貨物線複線で、下流側に架設されたのが線路増設費支出による旅客線複線である[42]。全長は2,265フィート4インチ(約690.5メートル)で、設計活荷重はクーパーE40(軸重40,000ポンド=約18トン)とされた[40]。貨物線・旅客線ともに荒川の本流部には200フィート(約61メートル)複線式曲弦鋼製トラス桁を3連、60フィート(約18.3メートル)プレートガーダーをトラス桁の南側に17連、北側に8連の合計25連を複線で合計50桁架設した[40][42]。またこの際に、内務省が河川改修を行って、荒川と新河岸川を区分する堤防が築造されていたことから、新河岸川には150フィート(約45.7メートル)の複線鋼製トラス桁を1連、60フィート(約18.3メートル)プレートガーダー2連を複線の合計4桁架設した[42][43]。荒川橋梁用のトラス桁は汽車製造と石川島造船所(後のIHI)による製作で約345トンあり[2]、新河岸川橋梁のトラス桁は横河橋梁による製作で約215トンある[3]

橋脚は、プレートガーダー部については長さ10メートルの鉄筋コンクリート製の杭基礎を採用し、トラス桁の橋脚については長さ30メートルの井筒基礎を採用した[44]。建設当時、この規模のトラス桁の架設は技術的にそれほど難しいことではなかったが、営業線に近接して井筒を沈下するのはそれなりに注意が必要な工事であった[44]井筒工法は、鉄筋コンクリートなどで円筒状または箱状の井筒を形成し、中に人が入って底を掘削し、おもりを井筒に載せて沈下させて上に井筒をさらに伸ばすように構築する工程を繰り返して地面の中に大きな井筒の基礎を構築する工法である[44]。荒川橋梁では外径18フィート(約5.5メートル)、内径12フィート6インチ(約3.8メートル)の井筒を使用した[45]。この際に、現場でおもりを載せて沈下させる代わりに、内部に水を入れて試行したところ、地表面付近まで水を入れた段階で簡単に沈下することが判明し、注水沈下工法が見出された[39]。これにより従来より大幅に工期を短縮することができた[39]

新橋梁の工事は、東京第一改良事務所の吉岡吉三郎技手を現場主任とし、間組が請け負って、1925年(大正14年)9月に着工し、1927年(昭和2年)4月に竣功した[39]。総工費は966,000円であった[39]。1928年(昭和3年)1月にまず、後に貨物線として使用される側の橋梁に切り替えられ、初代橋梁が廃止となった[46]。1929年(昭和4年)12月15日に赤羽 - 間の複々線が開通し、旅客線の橋梁も使用開始された[47]。そして京浜東北線の電車運転は、1932年(昭和7年)9月1日から大宮まで延長された[42]。一連の工事により貨物線に貨物列車が分離され、旅客線には京浜東北線の電車、東北・上越・信越各方面への長距離列車、および東北本線と高崎線の近郊列車(後に中距離電車となる)が線路を共用して走るようになった[48]

初代荒川橋梁で使われた4連の複線トラス桁は、その後転用された。1連は川崎市幸区新小倉および横浜市鶴見区江ヶ崎町にかけて、新鶴見操車場を横断する江ヶ崎跨線橋として、常磐線の隅田川橋梁から転用されたプラットトラス桁2径間とともに1929年(昭和4年)に架設されて使用されていたが、老朽化に伴う架け替えで2009年(平成21年)に撤去され、一部のみが保存された[49]。もう1連は、東京都北区中十条において、東北本線(京浜東北線)を横断する跨線橋として1931年(昭和6年)に架設されて供用されている[33]。さらにもう1連が群馬県水上町の大鹿橋に転用されていたが、1965年(昭和40年)に撤去された[33]。残りの1連は行方が分かっていない[33]

桁の交換

荒川橋梁の架け替え当時、まだ新河岸川は橋梁より上流で荒川に合流していたが、改修工事により橋梁より下流にある岩淵水門付近での合流に変更された[50]。この影響を受けて、流水路が次第に赤羽側に侵食してきて、プレートガーダー部の橋脚が洗掘されるようになってきた[50]。特に1949年(昭和24年)のアイオン台風では16号橋脚が約6メートル洗掘され、大きな支持力がある地質部分の大半を失って、軟らかい粘土層の上に杭を打って立てられているだけの状態となってしまい、保安上危険であったため応急の対策工事が実施された[50]

恒久的な対策として、従来のトラス桁よりも赤羽側のプレートガーダーを3連分撤去して、新たに全長59.2メートルのトラス桁に架け替えることになった[50]。これにより、第15号・第16号の橋脚は撤去し、新たにトラス桁が架かることになった第14号橋脚は一旦撤去した上で井筒を用いた基礎に更新することになった[50]。工事は1951年(昭和26年)10月に着手し、まず撤去する第14号橋脚の両側のプレートガーダーを強固に接続して特別製のフィンクを装着して全長約40メートルのトラスガーダーに改築し、レールを使った仮橋脚で支えながら、1952年(昭和27年)2月までに第14号橋脚を撤去した[50]。撤去した第14号橋脚の位置に、直径5.2メートル、長さ22メートルの円形井筒を2本、長径9.6メートル、短径6.6メートル、長さ22メートルの楕円形井筒を1本沈降させ、この上にボックスラーメン型の新14号橋脚を構築して1952年(昭和27年)5月中旬に竣功した[50]。並行して脇に新しいトラス桁を組み立て[50]、撤去する3連×複線の合計6連の鋼製プレートガーダー合計約210トンと、新しい全長59.2メートルの複線下路鋼製ワーレントラス桁約340トンを横移動させて架け替えを実施した[51][注 2]。新しいトラス桁の設計活荷重はKS-18で、日中に4時間54分の線路閉鎖を行って架け替えを施工した[52]。貨物線の桁交換は1952年(昭和27年)6月23日、旅客線(電車線)の桁交換は12月8日に実施された[50]。新たに架設したトラス桁は横河橋梁と松尾橋梁による製作である[2]。トラス桁の架設後、15号・16号の両橋脚が撤去された[50]。桁交換の総工費は1億5940万円であった[53]


注釈

  1. ^ 「荒川鉄橋建築工事報告第二」では橋の完成を明治17年2月としており、これを引いている『鉄道路線変せん史探訪』でもそのように記載している。しかし「荒川鉄橋建築工事報告第二」に記載の工程を基にすると完成は明治18年2月でなければつじつまが合わず、また工期21か月となるのも明治18年完成の場合である。「本邦鉄道橋ノ沿革ニ就テ(討議)」では明治18年2月竣功であると明記している。
  2. ^ 土木学会歴史的鋼橋のデータベースでは、このトラス桁の重量を約282トンとしているが、工事当時の資料では約340トンとしている。
  3. ^ 桁面を上げる工事のこと。

出典

  1. ^ 荒川橋(旅客線)1966-11”. 土木学会付属土木図書館. 2015年7月17日閲覧。
  2. ^ a b c d e f 歴史的鋼橋:T5-071 荒川橋梁旅客線、貨物線”. 土木学会付属土木図書館. 2015年7月22日閲覧。
  3. ^ a b c 歴史的鋼橋:T5-070 新河岸川橋梁”. 土木学会付属土木図書館. 2015年7月22日閲覧。
  4. ^ 『鉄道路線変せん史探訪』pp.28 - 35
  5. ^ 『埼玉鉄道物語』pp.2 - 4
  6. ^ 『埼玉鉄道物語』pp.4 - 7
  7. ^ 『鉄道路線変せん史探訪』pp.31 - 34
  8. ^ a b c 『鉄道路線変せん史探訪』pp.34 - 36
  9. ^ 『日本の鉄道創世記』p.160
  10. ^ a b 『鉄道路線変せん史探訪』p.41
  11. ^ a b c d e f 「荒川鉄橋建築工事報告第二」p.764
  12. ^ a b c d e f g 「本邦鉄道橋ノ沿革ニ就テ(討議)」p.741
  13. ^ a b c d e f g h i j 『鉄道路線変せん史探訪』p.39
  14. ^ 「荒川鉄橋建築工事報告第一」p.714
  15. ^ a b c 『鉄道路線変せん史探訪 パートIII』p.16
  16. ^ a b 『鉄道路線変せん史探訪』p.42
  17. ^ 「荒川鉄橋建築工事報告第一」第1図
  18. ^ 「荒川鉄橋建築工事報告補遺」p.767
  19. ^ a b 「荒川鉄橋建築工事報告第一」p.715
  20. ^ 「荒川鉄橋建築工事報告第一」pp.715 - 716
  21. ^ 「荒川鉄橋建築工事報告第一」p.717
  22. ^ 「荒川鉄橋建築工事報告第二」pp.751 - 752
  23. ^ 「荒川鉄橋建築工事報告第二」p.753
  24. ^ 「荒川鉄橋建築工事報告第二」p.754
  25. ^ 「荒川鉄橋建築工事報告第二」p.756
  26. ^ 「荒川鉄橋建築工事報告第二」第11図
  27. ^ a b c 「荒川鉄橋建築工事報告第一」p.716
  28. ^ 「荒川鉄橋建築工事報告第二」pp.758 - 759
  29. ^ a b c 「荒川鉄橋建築工事報告第二」p.759
  30. ^ 「荒川鉄橋建築工事報告第二」p.762
  31. ^ 『鉄道路線変せん史探訪 パートIII』p.15
  32. ^ a b c d e f 『大正十二年 鉄道震害調査書』p.40
  33. ^ a b c d 鋼橋の技術史研究部会最終報告書 平成15年4月” (PDF). 鋼橋技術研究会. 2015年9月24日閲覧。
  34. ^ a b 『鉄道路線変せん史探訪 パートIII』p.18
  35. ^ a b c 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』 1巻、1998年10月1日、189頁。 
  36. ^ 『大正十二年 鉄道震害調査書』p.1
  37. ^ 『大正十二年 鉄道震害調査書』pp.40 - 41
  38. ^ a b c 『大正十二年 鉄道震害調査書』第19表
  39. ^ a b c d e f g 『鉄道路線変せん史探訪 パートIII』p.27
  40. ^ a b c d 「國鐵東北本線荒川橋梁鈑桁架設に就て」p.18
  41. ^ a b 『東北線赤羽大宮間電気運転設備概要』の「総説」のページ
  42. ^ a b c d e f 『鉄道路線変せん史探訪 パートIII』p.24
  43. ^ a b 『東北線赤羽大宮間電気運転設備概要』の「東北本線荒川橋梁新設工事」のページ
  44. ^ a b c 『鉄道路線変せん史探訪 パートIII』p.25
  45. ^ 『鉄道路線変せん史探訪 パートIII』p.26
  46. ^ a b c d e f 「東北本線赤羽・川口間増設工事(荒川橋りょう)施工報告」pp.3 - 4
  47. ^ a b 『鉄道路線変せん史探訪 パートIII』p.23
  48. ^ a b c d 『日本国有鉄道百年史』13巻 p.854
  49. ^ 江ヶ崎跨線橋について”. 川崎市. 2015年9月24日閲覧。
  50. ^ a b c d e f g h i j k l m 「荒川橋梁橋桁更換工事」(交通技術)p.19
  51. ^ 「荒川橋梁橋桁更換工事」(交通技術)pp.20 - 21
  52. ^ 「荒川橋梁橋桁更換工事」(交通技術)p.21
  53. ^ 「荒川橋梁橋桁更換工事」(新線路)p.10
  54. ^ a b c d e f g 「増設工事すすむ荒川橋梁」p.33
  55. ^ 『鉄道路線変せん史探訪』pp.39 - 41
  56. ^ 「東北本線赤羽・川口間増設工事(荒川橋りょう)施工報告」p.6
  57. ^ a b 「東北本線赤羽・川口間増設工事(荒川橋りょう)施工報告」p.8
  58. ^ a b c 「東北本線赤羽・川口間増設工事(荒川橋りょう)施工報告」序
  59. ^ a b c d e f 「東北本線赤羽・川口間増設工事(荒川橋りょう)施工報告」p.9
  60. ^ 「東北本線赤羽・川口間増設工事(荒川橋りょう)施工報告」p.148
  61. ^ 「東北本線赤羽・川口間増設工事(荒川橋りょう)施工報告」pp.12, 140
  62. ^ 「東北本線赤羽・川口間増設工事(荒川橋りょう)施工報告」p.92
  63. ^ a b 「東北本線赤羽・川口間増設工事(荒川橋りょう)施工報告」p.11
  64. ^ a b 「東北本線赤羽・川口間増設工事(荒川橋りょう)施工報告」p.48
  65. ^ 「東北本線赤羽・川口間増設工事(荒川橋りょう)施工報告」p.89
  66. ^ a b 「東北本線赤羽・川口間増設工事(荒川橋りょう)施工報告」pp.89 - 91
  67. ^ 「東北本線赤羽・川口間増設工事(荒川橋りょう)施工報告」pp.92 - 95
  68. ^ 「東北本線荒川橋梁工事における工程管理」p.28
  69. ^ a b 「東北本線荒川橋梁工事における工程管理」pp.28 - 30
  70. ^ a b c 「月間報告」(1966年1月)p.40
  71. ^ a b c 「月間報告」(1962年3月)p.40
  72. ^ 「東北本線赤羽・川口間増設工事(荒川橋りょう)施工報告」p.151
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  74. ^ 線路に近接する不発弾処理に伴う列車の運転見合わせについて”. 東日本旅客鉄道株式会社 (2013年10月11日). 2013年10月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年7月17日閲覧。
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  76. ^ 東京都北区の不発弾処理について - 埼玉県危機管理・災害情報、2013年11月08日、2015年7月17日閲覧。
  77. ^ 赤羽北の不発弾処理 住民一時避難し無事終了東京MXテレビ2013年11月17日配信





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