船舶改善助成施設 第三次船舶改善助成施設

船舶改善助成施設

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/26 05:39 UTC 版)

第三次船舶改善助成施設

1936年度・1937年度の2年間で、さらに第三次船舶改善助成が実施された。新造船・解体船とも計5万総トンを目標として予算総額150万円とするのは第二次と同内容であり、補助金の交付要件・算定基準も第二次と同じであった[31]

実施結果は新造船が9隻(計50891総トン)で[24]、内訳は大型高速貨物船2隻・大型貨物船2隻・中型貨物船5隻[25]。解体船は13隻(計47294総トン)を予定したが、やはり第二次同様の解体期限延長が4回あり、実行されたのは2隻(計6282総トン)だけであった[28]

影響と評価

三次にわたる船舶改善助成施設の結果、日本の海運会社は全体として老齢船の更新と性能の改善を実現できた。補助金を受けて新船を建造できた船主は、大手海運会社を中心とする19社に限られた。しかし、中小船主も、解体に供するための老齢船を大手海運会社に売却して、代わりに比較的船齢の若い中古船を取得することで、間接的に恩恵を享受することができた[23]。例えば、大手の東洋汽船が第一次助成施設で建造した「宇洋丸」の見合い解体船5隻は、すべて他社から購入した船であった[32]

代船として新造された船は、トン当たり助成額の増額を狙って最低基準の13.5ノットを優に上回るものが多く、著しく高速化が進んだ。また、ディーゼルエンジンを採用した船が多く、スクリューも2軸から1軸へ洗練されて推進効率が向上、大幅に燃費が改善した。当時の代表的な優秀船路線であったニューヨーク定期航路を例にとると、第一次助成施設の建造船は、1916年-1921年建造の在来船に比べ、速力で26.2%増加・馬力で77%増加・燃料消費量73.5%減少という高性能だった[33]。助成施設適用船の高速化は、自己資金での同型船建造など新造貨物船一般の高速化へ波及した[34]。助成施設が開始された1932年以前8年間と以後7年間の新造船を比較すると、以前は15ノット以上の高速船は約38%だったのに対し、助成開始以後は約60%へ増加した[35]。助成対象外の貨客船についても、大阪商船などで船舶改善助成施設を意識して自主的な性能改善の取り組みが行われた[36]

過剰船腹の整理に成功した海運界は、金再禁輸による円為替下落で輸出が回復し始めたことと相まって、1932年後半には他の国内産業に先駆けて業績が改善し始めた。船質改善により他国の船会社に対しても優位に立ち、運賃収入の増加で日本の国際収支改善に大きく寄与した[37]

第一次船舶改善助成施設で建造された高千穂商船の大型貨物船「高栄丸」。太平洋戦争では海軍に徴用されて改装、特設敷設艦として活動した。

造船界は、新造船建造と老齢船解体の集中により、世界の造船市場が低調な中でいち早く回復に転じた。助成適用船建造の発注を受けたのは9つの造船所に限られ、しかも三井玉造船所三菱重工業で6割以上を占めていたが、海運界の好調による造船需要の全体的な増加が生じていた。1932年の国内進水船が10隻(計44000総トン)に落ち込んでいたところ、1934年には20隻(計123137総トン)、1937年には93隻(計427994総トン)と5年で10倍近い伸びとなった[37]。技術面でも船舶改善助成施設での国産品使用・水槽試験実施等により、設計能力の向上や周辺製造業の技術向上に良い影響があった。特に高性能船向けの大出力ディーゼルエンジンの需要増加は、機関製造能力の向上につながった[19]

軍事的にも、有事の徴用に適した優秀商船の増加と、海軍工廠を補完する民間造船所の存続と技術向上という目標が達成された。日中戦争から太平洋戦争にかけて助成対象船のほとんどが軍に徴用され、特設巡洋艦15隻中6隻[注 2]、特設敷設艦9隻中4隻[注 3] など有力な特設艦船の中核を担った。また、第一次助成施設で建造された「神州丸」(巴組汽船:4180総トン)型2隻は主機にディーゼルエンジン2基を積んで流体継手を介してまとめ1軸のスクリューを駆動させるという特殊な設計を採用しており、岩重多四郎は、同時期建造の潜水母艦「大鯨」用機関の実験船としての性格があったのではないかと推測している[38]

実施の代行機関として設置された船舶改善協会は、船舶改善助成施設の補助金交付等の事務を担当しただけでなく、新たな海事政策の立案にも携わった。実現した事業として、政府推奨の優秀商船の統一規格である逓信省標準船(戦時標準船の前身として「平時標準船」とも呼称)の制定が挙げられる。海事金融を目的とした日本海事銀行の設立も提言したが、大蔵省の同意を得られず、実現には至らなかった[39]

一方で、船舶量の減少と省力化された新型船への移行により、失業船員が増加する弊害もあった。不況による労働条件の低下が進んでいたこともあって、日本海員組合では労使協調路線の幹部に対する不満が高まり、激しい内部対立が起きた。1935年5月には、赤崎寅蔵を中心とした反主流派が新日本海員組合を結成して、分裂状態に陥った[40]

船舶改善助成施設の実効性確保のため船舶輸入許可制度による中古船輸入規制が施行されたことは、中華民国船籍の便宜置籍船を利用した脱法行為(変態輸入船)の増加という問題も生んだ[41]

その後の造船振興政策

第三次船舶改善助成施設の終了後、海運・造船業界からはさらに第四次助成の実施が要望された。しかし、景気回復により過剰船腹問題が解消していたこと、日本がワシントン海軍軍縮会議・ロンドン海軍軍縮会議体制から脱退するなど軍事的緊張が高まって船腹量確保が重要になってきたことなどから、船舶改善助成施設の継続は見送られた[42]

その代わり、新たな造船振興政策として、軍事色の強い優秀船舶建造助成施設・大型優秀船舶建造助成施設が実施されることになった。これは、遠洋航海助成施設・船舶金融施設と並んで海運国策と称された政策で、林内閣時代の第70回帝国議会で予算が国会に協賛された[42]。見合い解体船を要しない純然たる新造船への補助政策で、対象船種を貨物船以外に広く拡大、軍の徴用を想定して経済的合理性を失うほどの高性能化を要求など、従来の船舶改善助成とは異質な内容であった[43]


注釈

  1. ^ 答申案の要旨は、船齢25年以上の古船65万総トンを解体し、その1/3から1/2相当量の新船建造につき1トン当たり60円を補助するというものである[16]
  2. ^ 船舶改善助成施設で建造された商船のうち特設巡洋艦に改装されたのは「能代丸」「清澄丸」「金剛丸」「浅香丸」「盤谷丸」「赤城丸」。なお、「神州丸」「宏山丸」も改装予定船に指定されていたが、実行されなかった[26]
  3. ^ 船舶改善助成施設で建造された商船のうち特設敷設艦に改装されたのは「新興丸」「高栄丸」「天洋丸」「最上川丸」(竣工時の船名は「月洋丸」)。

出典

  1. ^ a b c 米田(1978年)、73頁。
  2. ^ 米田(1978年)、68頁。
  3. ^ a b c 米田(1978年)、204頁。
  4. ^ 米田(1978年)、205-206頁。
  5. ^ 米田(1978年)、208頁。
  6. ^ 米田(1978年)、77頁。
  7. ^ 米田(1978年)、200頁。
  8. ^ a b 米田(1978年)、217頁。
  9. ^ 米田(1978年)、76頁。
  10. ^ 米田(1978年)、214頁。
  11. ^ 米田(1978年)、218頁。
  12. ^ 米田(1978年)、236頁。
  13. ^ a b c 米田(1978年)、245頁。
  14. ^ 米田(1978年)、219頁。
  15. ^ 米田(1978年)、220頁。
  16. ^ 米田(1978年)、221頁。
  17. ^ 米田(1978年)、224頁。
  18. ^ a b c 米田(1978年)、225-227頁。
  19. ^ a b c 日本造船学会(1977年)、312頁。
  20. ^ a b 米田(1978年)、240頁。
  21. ^ 米田(1978年)、233頁。
  22. ^ 日本造船学会(1977年)、318頁。
  23. ^ a b 米田(1978年)、242頁。
  24. ^ a b c 米田(1978年)、250-251頁。
  25. ^ a b c 岩重(2011年)、29頁。
  26. ^ a b 岩重(2011年)、38頁。
  27. ^ 岩重(2011年)、36頁。
  28. ^ a b c 米田(1978年)、232頁。
  29. ^ 米田(1978年)、229-231頁。
  30. ^ 米田(1978年)、264-265頁。
  31. ^ 米田(1978年)、231頁。
  32. ^ 東洋汽船株式会社 『東洋汽船六十四年の歩み』 東洋汽船、1964年。
  33. ^ 米田(1978年)、248頁。
  34. ^ 日本造船学会(1977年)、60頁。
  35. ^ 米田(1978年)、249頁。
  36. ^ 大阪商船三井船舶株式会社 『大阪商船株式会社八十年史』 大阪商船三井船舶株式会社、1966年、428頁。
  37. ^ a b 米田(1978年)、254頁。
  38. ^ 岩重(2011年)、33頁。
  39. ^ 米田(1978年)、235頁。
  40. ^ 米田(1978年)、154-155頁。
  41. ^ 米田(1978年)、265頁。
  42. ^ a b 米田(1978年)、271-272頁。
  43. ^ 岩重(2011年)、28頁。


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